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「読書週間ですからね」——資源活用事業#38

植戸万典うえとかずのりです。年末年始のまとまった休みには溜まった未読の本に手をつけようとしてはほとんど達成できないなんてことを繰り返して何年になるものやら。

しかしわが心の師と仰ぐ京極夏彦先生は、

読まない本を持つのは時間や空間のムダだという論がありますが、とんでもない話です。本は、買うだけでいい。読もうが読むまいが、いいと思った本を手元に置いておくだけで人生は豊かになります。題名を読んで中身を想像すれば感情は動く。「いつか読もう」と思えば、目も頭も大切にして、長生きしようと努力するかもしれないじゃないですか。

出典/『婦人公論』2024年11月号

と述べています。力強い言葉だ。

コラム「読書週間ですからね」

 自己紹介の趣味欄はいつも「読書」としてきた。無難だが、さりとて必要なだけ話題を膨らませることもできる。読書そのものは皆少なからず経験していよう。誰しも幼少期は『アンパンマン』に親しんだように。
 唐代の韓愈の詩から「灯火親しむべし」と云うように、涼しい秋の夜長は読書に適している。文化の日を中心に、毎年十月二十七日から十一月九日の二週間は読書週間だ。昭和二十二年に「読書の力によって、平和な文化国家を創ろう」として米国のチルドレンズ・ブック・ウィークに倣った、というのがこの行事の公式の説明だが、その前史には、大正十二年に始められた図書館週間がある。世相ゆえか昭和八年からは図書の神霊を奉祀した図書祭もおこなわれていた。布川角左衛門の「読書週間十年の回想」では関東大震災後と戦後の双方で図書運動を展開したことが重ね見られているが、図書館週間の実施はすでに発災の前に決定していたので、状況の一致は偶然だろう。ただ、その文化的運動が社会に「読書の秋」を広めたことは疑いない。
 読書の秋とは、執筆の秋だ。書いたものがなければ読むこともない。この季節、一学究としても売文屋としても、執筆という営為に対しては妙に熱がこもってしまう。
 アカデミアの界隈で使い古された常套句に「パブリッシュ・オア・ペリッシュ」というものがある。すなわち、発表か死か。研究者なら学術的な成果を世に示して当然だという信条であり、発表しなければ研究職も研究費助成も得られないという皮肉でもある。わが院生時代を思い返してみると、長らく論文を出していない重鎮の老学者は、院生たちから批判とやっかみの対象とされたものだ。
 本欄含め自分がこれまで発表した文の量はもはや覚えていないが、そのなかで書き方を自己流で工夫してきた。恩師に「達意の文を書きなさい」と指導されたのは、卒論内容が煮詰まったちょうど今時分の季節。生業がキーボードを打つ日々となった現在も、己は達意の文が書けているかとしばしば省みる。
 と、以上がイントロ。以下は近刊紹介だ。
 阿部幸大『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』(光文社)では期末レポートから査読論文にまで通用する執筆の技術を、本書で実際に証明するように示している。さらに、社会における人文学の価値も考えるものであって、気鋭の研究者らしさを感じる一書だ。必ずしも日本史の研究分野に使えるものばかりではないが、我流の執筆をあらためて思い直すと同時に、読む力も重要だと再認識する秋としてくれた。
 本書を通読すれば、アンパンマンの暴力は男性的であり、それは日米関係の歴史を織り込んだ「正義」の戦争の批判なのである――もし本書でそんなテーゼが論証されたように読めたなら、趣味は読書だと宣うことは一旦控え、いま少し幅広い読書をお勧めする。
(ライター・史学徒)

※『神社新報』(令和6年10月28日号、原歴史的仮名遣ひ)より

「読書週間ですからね」のオーディオコメンタリーめいたもの

ちょっと注意が必要なのは、「読書の秋」という言葉の初出は図書館週間や読書週間というわけではないことです。
「読書の秋」は、図書館週間のはじまる前から新聞紙上でも使われていました。

上記リンクのレファレンス共同データベースの回答では、新聞での使用例から探られており、明治・大正時代には知られていたとは推測しにくいとされていますが、ここでは別方向からも考えてみたいと思います。
それは“唱歌”です。

そのものずばりのタイトル「読書の秋」(大和田建樹作詞/田村虎蔵作曲)という唱歌が明治37年にでき、明治40年代には小学校の授業でも取り入れられていたっぽいので、「読書の秋」という言葉が広まった一因はそこにあるのではないでしょうか。
まぁ知らんけど。

#コラム #ライター #史学徒 #資源活用事業 #私の仕事 #読書週間 #読書の秋

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植戸 万典
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