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「市の虎は真実を食う」――資源活用事業#22

植戸万典(うえと かずのり)です。国際情勢も混迷し、さまざまな情報の飛び交っている昨今。誰の言う何が本当で、あるいは嘘なのか、朝夕のニュースを見ているだけでは真実を計り知れません。

世界がこうなることなど全く見越していたわけではありませんが、今回の資源活用事業はそんな「真実」と「嘘」について、今年1月の『神社新報』に載せたコラムを利用します。
とはいえ、新年のご挨拶的なもの。寅年なので虎にちなんだお話、という程度のコラムです。
そしてここでは新仮名遣いにしていますが、もちろん原稿作成の段階から掲載時まで完璧に旧仮名遣ひで書いていました。これは嘘じゃありませんよ。

コラム「市の虎は真実を食う」

 『戦国策』に曰く、魏の臣龐葱(ほうそう)は、敵国の趙へ魏の太子とともに人質となりに行く際、王に問うた。「もし今、市場に虎が現れたと一人の者が申せば王はお信じになるか」と。王は「否」と頭を振った。龐葱は次に「二人の者が申したら如何」と尋ねた。「もしやと疑おう」とは王。するとさらに龐葱が「では三人なら」と重ねると、ついに王は「信じるであろう」と返した。そこで龐葱は続けた。「市に虎のあるはずもないことは明らかにも拘らず、斯様に三人して云えば虎が出ます。魏を去ること趙の都は市場より遙かに遠く、また私をとかく評する者は三人に収まりますまい。王にはどうかこれをお察しを」と。
 人質となった自分達が敵に取り込まれたと謗られることを彼は恐れたのだろうか。この故事から、事実無根の風説でも大勢が云えば信じられるようになることを「市に虎あり」や「三人虎を成す」などと云う。虎にちなむこの年の初めに相応しい成語だ。
 情報社会の現代では、マスメディアだけでなくオンラインネットワーク上もさまざまな言辞で溢れている。そこでは火のない所にも煙が立ち、真実を喰らう市の虎が跋扈する。そのさまは歴史学とも無縁でない。歴史学の歴史は、訛偽との戦いの繰り返しだった。
 文献からの情報で成り立つ歴史研究では、史料が偽だったり、先行研究が誤報の発信源だったりして惑わされることもしばしばだ。例えば、今年注目の鎌倉殿こと将軍源頼朝は「後白河院の寵臣藤原信頼を烏帽子親として元服」(『平安時代史事典』)したなどとも云われたが、管見の限りではその典拠となる史資料は見当たらない。これは、永原慶二著『源頼朝』が状況から推定した部分を断定調にしてしまったものだろう。
 偽書や偽文書も厄介だ。東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)やホツマツタヱなどは有名だが、義経が頼朝に心情を訴える「腰越状」や、清和源氏が実は陽成源氏かと示唆した「源頼信告文」など、学界における議論は尽きない。ただ、近年は史料批判による真贋論を超え、偽文書自体が積極的に研究対象とされるようにもなった。久野俊彦・時枝務編『偽文書学入門』はその嚆矢だろう。また馬部隆弘著『椿井文書』は、椿井文書が「三人虎を成す」のとおり、複数の偽文書によって情報を補いあうことで信憑性を生み、神社の由緒・縁起にも影響を及ぼして、それが今の町おこしにまで繋がっていることを論じている。
 虚実の入り乱れる現代社会は、嘘の影響も軽視できなくなっている。こう云うと「私は嘘は嘘であると見抜ける」と思いがちだが、そう簡単なことだろうか。そこで最後に件の魏王の顛末を見て、本稿の結びとしたい。
 王は龐葱の奏上に「自ら智慧を働かそう」と応じた。しかし彼らの到着より先に讒言は王に届いた。後に太子は人質を解かれるが、果たして王へは目通り叶わなかったという。
(ライター・史学徒)

※『神社新報』(令和4年1月24日号)より

「市の虎は真実を食う」のオーディオコメンタリーめいたもの

タイトルの「真実」は「まこと」と読みます。
そう言うと、「愛情の「愛」と書いて「めぐみ」、愛に恵まれるように」を思い出します。

馬部隆弘氏の『椿井文書―日本最大級の偽文書』は、歴史学界隈だけでなく一般にもよく読まれたようで、いろいろなメディアでもいまだに取り上げられている様子。

同書の論点はいくつかありますが、そのひとつとして、地域活性化の名目で偽史という「嘘」が利用されてしまうというのは、割と根深い問題なのだということでしょうか。
それこそ、神社の由緒を語ることにもより慎重さが求められるのだろうなと、発信者側としても自戒すること頻りです。

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植戸 万典
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