福島県双葉郡浪江町を訪れた日のこと(1)
2019年の6月、霧のような雨が降るなか、福島県の浪江町を訪れた。
数ヶ月前、都内のとある場所で、浪江の出身の方に偶然お会いした。原発からほど近い浪江町は、つい最近まで全域が帰宅困難区域だったけれども、今では一部の避難指示が解除されている。その方との出会いがきっかけで、いろいろあって、浪江を訪ねることにした。
上野から新幹線で1時間半もすれば福島に着く。そこからレンタカーを借りて、さらに東へ1時間も走れば浪江町だ。薄暗い空の下、草木の緑色が濃い。人気のない道を走っていると、帰宅困難区域に入ったことを知らせる白い看板をみつけた。浜通りに来るのは初めての同行者が、その看板を見てすこし緊張したような素振りを見せる。とりあえず昼食をとろうと、 役場がある町の中心部へと向かった。
役場の周辺には飲食店がいくつか並んでいた。そのうちのひとつに入り、ステーキ定食を食べる。1500円だった。
食事を終えてあたりをうろついていると、役場の裏が賑やかだったので覗いてみる。小型の店舗が集まる市場のような場所で、広場ではマジックショーをやっていた。仙台から来たと話す若い男性のマジシャンが、コインを手の甲で器用に転がす技を披露し、拍手があがっていた。
なんとなく入った雑貨屋では、地元の方とおぼしきご婦人方がのんびりとおしゃべりをしていた。しばらくそこで全国どこにでもあるような雑貨(小さな鉱石の標本、特にその場所に関係のないキーホルダー、どこかで見たようなデザインの安いバッグなど)を眺めていたけれど、日が沈む前に町をまわるために、その場を後にした。
居住制限区域の田畑にはソーラーパネルがずらっと並んでいた。住民が去った家々の門前には、防犯のためかバリケードが設置されている。
途中で崩れかけた神社をみつけ、思わず車を降りて眺めていると、パトカーがやってきて職務質問を受けた。このあとでまた、別の警官にも職務質問を受けることになる。一日に2回も職務質問を受けたのはこのときが初めてだ。
海が見たいという話になり、東の沿岸部に向かうことになった。津波の被害にあった区域は今でも更地のままで、雑草がぼうぼうに生い茂り、ところどころに瓦礫が残っている。
あの震災が起こってから、福島から岩手まで、東北の沿岸部には395キロメートルに渡る巨大な防潮堤が建てられた。浪江にもだ。白く乾いたコンクリートの巨大な壁がそびえ立ち、陸から海を眺めることはできない。泥に足をとられないように気をつけながら防潮堤へと近づき、上へと登った。防潮堤は台形をしている。上の平らな面は、車が通れるほどの幅だ。 そこに立って海を見た。波が引いては押し寄せて、ブロックに当たっては白い飛沫を立てていた。
「海風に当たると、髪も肌もべたべたするね」などと話しながら、しばらく同行者と海を眺めた。
わたしたちの背後では、除染作業で出た廃棄物を減容処理するための焼却施設が、古い冷蔵庫の立てるような低い音を立てていた。
その日は浪江町内のゲストハウスに泊まることになっていた。すこし迷って、やっとそれらしき建物にたどり着くと、玄関先の黒い犬がけたたましく吠えながら出迎えてくれた。
わたしたちの他には四国から車で来たという若い男女のグループや、近所から遊びに来ているという女性がいた。夕飯はどうしようかと同行者と話していると、四国の方々が手料理を振る舞ってくれるというので、期せずして初めてお会いしたばかりの方々と食卓を囲むことになった。テーブルには、四国から運んできたという立派なアスパラガスや、福島の名物であるいかにんじんが並んでいた。
実は、前の晩はほとんど眠れていなかったので、この頃になるともう耐えられないほど眠かった。社交的な同行者は他の方々との会話を楽しんでいたが、わたしは一人で部屋に戻ることにした。
福島市に住む親から、その日が妹の命日であることをあらためて知らせるLINEが来ていたのを確認して、硬い枕で眠った。