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論文マラソン42 上薗四郎「国画創作協会の画家たちとフランス近代絵画ー小野竹喬を中心として」

今日の論文は、上薗四郎さんの「国画創作協会の画家たちとフランス近代絵画ー小野竹喬を中心として」(『美術フォーラム21』23号、2011年5月)です。

構成:
・日本画をつかむための渡欧
・西欧美術研究の実践
・エトランゼとして日本を見る

小野竹喬の渡欧は、1921年10月から1922年5月まで。行きは土田麦僊、野長瀬晩花、黒田重太郎と行き、帰りは一人で帰国。
最初にフランス、パリへ行き、イタリア、スペイン、イギリスをまわっている。
ちなみに、入江波光は1922年4月から渡欧、吹田草牧もそれに同行している。

竹喬は帰国の日に、渡欧の印象を次のように語る。
「日本画はもつともつと洋画を研究して洋画に近づきもつと思想的になつて人間味に豊んだものを描かなければならぬと思ふ…」

竹喬が渡欧をきっかけに興味を持った画家、作品は、ポンペイの壁画、イタリア中世のフレスコ画、アンリ・ルソー、ゴーギャン、ルドン、そして歌麿などの浮世絵であったという。

帰国直後に、「一等浮世絵が人間的で深い所があつていいと思ふ、歌麿の女の見方なぞは実に徹底したものである」と語ったという。

やがて、西洋の風景はセザンヌの構図のよう、日本の風景は池大雅の十便図がそぐう、と考えるようになり、南画の平明な画風で日本の風土を描くようになる。

15分

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