【INTJ】吾輩は猫であるって話
吾輩は猫ではない。人間だ。「吾輩は猫である」の魅力について書くわけでもない。面白いのでぜひ読んでほしい。吾輩の性格が猫っぽいという話でもない。世の中との関わり方について「吾輩は猫である」の猫を参考にしているという話だ。
「吾輩は猫である」は、前半こそ猫同士の触れ合いも書いているが、ほとんど猫が飼い主のくしゃみ先生とその家族や友人を眺めて、シニカルに論評している話だ。だから、ストーリーらしいストーリーもない。
吾輩も人の話には加わることは少ないが、聞いて心の中で論評している。吾輩は夏目漱石ではないので、さして面白い論評ではないが。
吾輩は、中学生の頃体育祭の打ち上げでカラオケに行った。「一人一曲ノルマ〜」と陽キャが仕切る中、吾輩は断った。歌うのが嫌いだからだ。ノリが悪いのは承知しているが、マラカスを振ったり手拍子して人の歌を聴いているだけでいいのだ。
案の定、盛り下がるわ〜と言われた。言われただけでどうということもないが、吾輩には楽しむ権利はないのか。吾輩はノリが悪いからと言ってイジメや嫌がらせを受けたことはないが、こんなことが度々あって陽キャのノリが大嫌いになった。ノリの悪い吾輩を、ノリが悪いと分かっていながら律儀に誘う陽キャたちは偉いと思う。
だから、吾輩は「吾輩は猫である」の猫になった。人間を観察して、頭の中で論評するのだ。口に出さなければ、誰のことも傷つけることはない。思うだけなら自由だ。
人付き合いが疲れる時、人付き合いが苦しくなる時は、人間を眺める猫になり、一線を引くことで大分楽になる。人と話したい時だけ、周囲の人にお付き合いいただけば十分だ。
だが、吾輩は文豪ではないから、論評の腕はちっとも上がらない。
そうして吾輩は、人との距離や関わり方を覚えていった。人間関係に参加することなく、外側から眺めることに専念すると、驚くほど色んなことがわかる。
誰が誰のことを嫌いか、発言力があるのは誰か、カースト一軍にいながらグループ内で地位が低いのは誰か。その観察眼は社会人になってから、大いに役立っている。会社の人間関係やパワーバランスを察知できると、色々と立ち回りやすい。
ちなみに色恋関係には全く気づかない。猫だから仕方ない。
夏目漱石はINTJとされることが多い。吾輩と同じだ。ただでさえ理解されづらい上に、夏目漱石は癇癪持ちだったそうだ。ストレスの多い人生だったろう。彼は、「吾輩は猫である」を執筆して、猫にはならなかったのだろうか。
癇癪を起こさぬよう、世の中と一線を引き自分を守ることはしなかったのだろうか。好きな作家なだけに、そんなことに思いを馳せてしまう。
猫になるのは、デメリットもある。
吾輩は、子どもの頃からドライな性格だった、と思う。動物占いが流行る中、生年月日でなぜ性格が決まるのかと、全く面白がれなかった。社会人の今よりもINTJ丸出しの子どもだった。ドライで屁理屈を言って、親はよくこんな可愛げのない子どもを大人になるまで育てたものだ。
猫になるために世の中に一線を引くと、更にドライな人間に思われる。吾輩は、会って3日目の人にドライだと指摘された。その最短記録はこれから更新されることがあるだろうか。あってもらっては困るが。
もしその人と再会したら、人を見る目あるで賞をあげよう。
吾輩は高校時代の教科書に「こころ」が載っていた。抜粋だったので「こころ」の良さに気づかなかった。その頃、夏目漱石の小説で全文読んだのは「ぼっちゃん」と「吾輩は猫である」だけだった。
もし、その頃教科書に「こころ」の全文が載っていたら、吾輩はもっと早くに夏目漱石の魅力に気づけたかもしれない。悔しい限りだ。いっそのこと、夏休みの宿題で「こころ」の読書感想文作成を出してみてはどうだろう。
読書嫌いから猛反発をくらいそうだが。
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