INTJが老害と化す話

全体的に老害くさい記事(だけど最後まで読んでくだされば幸いです)。

今日ネットニュースで見て驚いた。
常陸が読めない若者たちが増えているそうだ。
記事によると、二十代の約6割、三十代で約4割、四十代五十代でも3割超の人が読めなかったそうだ。全国を対象にした調査らしいので、関東から遠い場所にする人は茨城県の地名に疎くても仕方ない……のだろうか…。

常陸は、アイヌ語や琉球語を語源にしているわけではない。クイズ番組に出題されるような難読地名でもない。常陸国もあったし、常陸宮さまもいらっしゃる。

今は英文にカメラをかざせばすぐに和訳してくれるアプリがあるくらいだから、カメラをかざせば漢字の読み方を表示してくれるアプリがあるのかもしれない。アプリ使わなくても検索すればすぐわかる。

インターネットで調べればなんでもわかる時代。
と、よく聞くけど、漢字が読めなければインターネットも使えなくなるのでは…、と心配してしまう。
その内、漢字を読ませるのは、漢字を書かせるのは、漢字ハラスメントだと言われてしまうのだろうか。漢ハラ、オトコハラスメントか漢民族ハラスメントかよくわからん代物だ。

読めないからダメというわけではない。私だって読めない漢字はある。どんどん書ける漢字も減っている。でも、こういうのが教養って言うんじゃないだろうか。教養は、たくさんの知識、経験、倫理観、思考力、そういうものの積み重ねで身につくものだと思っている。そして、人間が陶冶されるのだと思う。

私は教養のある大人だと思われたい。知識人だ、文化人だと思われたい。オバサンのくせに歳だけ取って何も知らない、何もできないと思われたくない。

私は、つい先日、「初心忘れるべからず」の意味を知った。自分が初心者だった時の気持ちを忘れるな、という意味だと思っていた。老年になっても初めてやることは初心者なのだから謙虚でいなさい、ということらしい。ちなみに、世阿弥の「風姿花伝」に出てくる言葉だそうだ。

学ぶ心と謙虚さ、忘れないでいたい。特に、謙虚さは大幅に足りていない。

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