
決してあの日のことを忘れない:戦後75年の節目に
今年は戦後75年の節目の年です。
コロナ禍において忘れがちですが、平和について、あの戦争について考える必要があるのではないでしょうか。
私は、戦争の正当性の有無について語ることは今はしたくありません。
ですが、紛れもない事実としては、多くの人がこの戦争で死んだことです。
しかも民間人が。
特に日本全土で行われた大空襲。そして広島・長崎への原爆投下。
広島への原爆投下では約8万人が即死、長崎では約7万人が即死しました。その後の犠牲者の数は100万人とも言われます。
空襲による合計死者数についてバラツキ(調査団体、研究者、新聞社各紙によって)がありますが、最少の約24万から最大の100万人とも言われています。
東京、名古屋、大阪、神戸、京都、横浜などの六大都市圏だけではなく、地方都市も空襲にあいました。
その中には静岡も含まれていました。
各都市大きな被害がありましたが浜松、静岡、清水の情報を整理しておきましょう。
6月19-20日 静岡大空襲 死者・行方不明者:2,010人 家屋被害:31,032戸
6月18日 浜松空襲 死者3,609人。焼失家屋32,454戸。
7月7日 清水空襲 死者151人
消失家屋の情報をみると静岡、浜松はほぼ街が焼け野原になったことが分かります。
清水は被害が小さかったわけではありません。軍需工場があった清水は断続的に攻撃を受けていましたし、駆逐艦による砲撃も受けています。
これだけ多くの人が死にました。しかもその人たちの多くは民間人であり、軍人ではありません。
その人たち、何の罪もない多くの人たちの命を奪った空襲による無差別爆撃。
この空爆という手段。今でも使われています。
いかなる理由があっても無差別な攻撃に繋がる空爆には断固として反対します。
そしてもう一つ、地雷の存在も忘れてはなりません。
私は一昨年カンボジアに行きました。時代を超えて被害をもたらす地雷。
その恐ろしさはいまだに多くの人を苦しめています。時代を超えて。
戦後75年。単に今は平和でよかったね。ではなく、未だに平和がない国もある。そのことを忘れないでいたい。世界中からこうした無差別に人を殺傷するあらゆる武器があるなくことを、戦争がなくなることを、心の底から願っています。
そのために今一度振り返りたい。
あの日のことを。あの戦争を。