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「時価情報はなぜ注記ではダメなのか?」という質問に答えてみる。

さて今日は学生からの質問に答えてみようと思います。

「時価情報は注記ではダメなんですか?注記にすれば、測定上の多くの問題に悩まなくて済むし、信頼性が低かったとしてもそれを一つの参考情報として投資家が自己責任で見て判断すればよいと思います。利益に影響を与えることを考えると実現性の高いものに限定することは大事ではないでしょうか?」


簡単に言えば、「時価情報は注記ではなダメなんですか?」
いう質問に答えてみようと思います。 

 
会計を複雑にしているのは時価のせい。

そう思います。時価のおかげ(せいで?)、会計の在り方は随分ファイナス的になりましたし、複雑化しました。

『会計=簿記、暗記』そう言われていた時代もあったのではないでしょうか?

会計関連の試験では時価、将来キャッシュフローの算定に関する考え方を問う問題はそれほど多く出てこないと思います(会計士試験の論文式はともかくとして、簿記試験関連はそうですね)。

ですが、今やそうではないような気がします。

時価による測定が多くなり、多くの場面で会計の担当者が問われているのは現代会計への深い理解、思考力、判断力です(もう一つ付け加えるとチームで相談しながら行うので、コミュニケーション能力も必要ですね)。

市場性のある資産・負債だけでなく、市場性がないものを何らかのインプット情報と評価技法により測定する。

そこで問われるのは、どのような評価技法、インプット情報を集めればいいのか、という考え方。

そこには単なる数値の当てはめではない、自分なりの考え方がなくてはなりません。

一方で客観性、検証可能性を担保しなければならない。


となると導き出した数値の客観性、検証可能性を担保できるようなアプローチ、説明が出来るような方法を選択しなければなりません。

そのジレンマに会計の担当者は苦しめられます。

現行の会計基準の全てが、時価の測定に置き換わっている訳ではないですが、多くの基準において時価(公正価値)の要素が取り入れられています。

「誰が計算しても同じ答えにならないとダメじゃないですか?」

確かにそうかもしれません。ですが、市場性のない資産・負債の評価について、誰がやっても同じ値を導き出すのはおそらく困難。

ですから時価は客観性、検証可能性が乏しいとも言われている。
ですが、なるべく近づける努力はしないといけない。

明らかに矛盾してますよね。

退職給付債務の初期の議論で言われていたこと。

期末要支給額100%ではダメなのですか?
というお話。
確かにそれも一つの考え方、だとは思います。

当時、まだ現在価値、という考え方が浸透していなかった時の議論。

大雑把に多めに負債を積み立てておく、ということでは、計上される負債額が大きくなってしまいます。

過度に保守的に見積もることは、企業にとってはよいかもしれませんが、分配を受ける株主にとっては問題、です。配当可能利益の算定に、時価の影響が取り除かれていたとしても、当期純利益が一つの尺度になって『その中からどの程度配当したのか?』というのことを投資家は気にしている。

配当の問題は別にしても、大雑把に積立てられた負債に、倒産を防ぐための役割はあったとしても、情報価値がどの程度あるかは疑問。

投資家、利害関係者が知りたいのは、企業の正確な経営成績および財政状態の状況、です。

とりあえず「大雑把に数値出して、織り込みました」では情報提供をしているとは言い難い(そうでない考え方もあるとは思います)。

となると、出来る限り厳密に測定するということに挑戦するしかない。

測定に関わる問題は、会計基準だけでは対応できる問題ではなく、会計に関わる人の技量が問われています。ですから、「大雑把でもいい」ことを許容することは、時価で測定する能力が乏しい国、組織においては必要な措置かもしれません。

ともあれ、時価という曖昧な測定に会計担当者は向き合わなければなりません。では、時価は大変信頼がおけない情報なので、財務諸表に織り込むのは取得原価に限定し、時価は注記で開示する。

そうした考え方もあるかもしれません。

つまり、全ての時価の情報を出して、それを外部の投資家が織り込んで計算すればいい、ということですね。

成り立ちうる会計観だと思います。

ただし、参考情報として出される時価と財務諸表に組み込まれる時価。
同じ時価でも全く意味合いは異なります。

なぜならば、財務諸表の項目に組み入れられた瞬間に利益、もしくは資本に影響し、他の収益、費用、資産、負債との関係性が問われ、分析されるからです。

その影響を避けるために、注記情報として時価を出し、取得原価を維持することが正解かといえば必ずしもそうではありません。

もちろん金額が小さければ問題にはなりません。

ですが、金額が大きければ話は別です。投資家が織り込んで再計算した財務報告と企業が出している財務報告に乖離が生じた場合、どうなるでしょうか?

二つの財務報告が生まれ、企業が出している財務報告の信頼性に傷がつく、ということになりかねません。

こうして整理すると『客観性、検証可能性が乏しくても、なんとか時価で測定する」ことを現代会計は選択したんだ、ということに少し納得しませんか?

とはいえ、時価に纏わることは、今後も財務会計における主要な論点ではあり続けるでしょう。

私も常に皆さんと一緒に未解決の問題を考えていこうと思います。

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