生きていること『メイキング』「第7章 流れる身体」
新年明けましておめでとうございます。
土日の時間を利用して読んでいるインゴルド「メイキング」のお時間です。
第7章まできました。
第7章「流れる身体」です。
これまでのところでは、外界言ってみれば、外の世界に関する見方、捉え方について触れていたインゴルドのメイキングは内なる世界に入っていきます。
つまり、私たち自身のこと、です。
今日はその前振りのような話に留まります。
やや難易度が高い話で読み取ることがまだ出来ていません。
この章は、私たちは私たち(にんげん)をどう捉える。
そんなことを考えさせられる章です。
人間は細胞と微生物で成り立つ有機体です。
では、身体は「入れもの」なんでしょうか?
それとも何らかの形で心(脳?)と繋がっている、一体不可分なものなのでしょうか?
そもそも私たちが生きている、ということをどのように捉えるべきなのでしょうか。
そんなことを考えさせられます。
インゴルドは、「生きていること」で、「貝に覆われた戦士(ムーア)」という作品を引き合いに出します。
ヘンリー・ムーアの「戦士」と同一サイズのレプリカを銅で製作し、オンタリオ湖の湖中に沈めて作られた左k品です。
2008年の一年間湖底に沈められ、引き上げられた時には表面がびっしり貝で覆われていました。
貝でびっしりと覆われたムーア像は、オリジナルのムーア像と異なるメッセージを持つ作品になった
そうインゴルドは主張します。
オリジナルのムーア像は、孤独であり、自分の周囲の影響を頑なとして受けつけない。そんな強さを感じさせるものでした。
ところが、貝に覆われた像は、生命と成長の素地に変化した。
インゴルドはそのように述べます。
つまり、表面に寄生した貝を介して、像は自身の周囲の環境に滲透したように見える。戦士は満身創痍であるとはいえ、真の生きた有機体に変貌した
とインゴルドは解釈します。
つまりインゴルドは、貝という有機体が覆われたことにより像の持つ意味合いが変貌したと主張します。
このことを私たちのことに置き換えてみましょう、
有機体である私たち自身が、身体という器に寄生しているのか、それとも一体として存在しているのか。
どちらなんでしょうか?
私自身の人生の終わり。
つまり、死を迎えた時に、その身体は有機体から無機体へと変化すると考えれば良いでしょうか?
私たちは生きていているということは果たしてどういうことなのか?
器としての身体をどのように捉えるのか?
そうしたことを考えさせられる章です。