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父が逝った。

それまでにも何度か会ったらしいのだけれど、まだ幼かった自分の記憶の最初にあるのは、新しい家の玄関で、母の後ろに隠れながら見上げた姿だった。そんな父が逝った。

再婚となる母の連れ子だった自分と兄を、家族として受け入れてくれた。まだ幼かったのが良かったのか、自分は当たり前のように受け入れることができた。そんな父が逝った。

怒られたこともあるが、暴力を振るわれたことはなかったように思う。優しいけれど頑固で、シャイだけれど芯は通った人だった。そんな父が逝った。

バリバリの理系で、半導体に関わる仕事をしていた。そんな仕事の都合により、転勤となった地方の空気が、自分たち家族には合わなかった。1年半で出戻る事になり、やりがいのある仕事を諦めなければならなかったのではないかと、大人になってから気が付いた。そんな素振りは見せなかったが、自分の中にしこりとして残っている。そんな父が逝った。

大学へ行かせたかった親と、塾通いの結果の高校受験で進学校へ入ったものの、燃え尽きた自分は衝突した。予備校をすぐに辞めて部活に生き、赤点を何度も取った。大学進学はせず、音楽の専門学校へ行った。そこで才能の無さに思い至ったが、画像を扱うAdobeのソフトの授業が性に合っていたのが救いとなった。バイトから就職でき、ひとまず社会に出られた。だが5ヶ月で退職し、そこから9ヶ月ニートだった。好き勝手に生きて迷惑をかけた。そんな父が逝った。

一念発起して丁稚からやるつもりで働いた。終電は何度も乗ったし、泊まりもたまに発生するような職場だった。仕事に慣れた頃、夜間の画塾へ通いたくなりセツ・モードセミナーへ入った。最高に刺激的で楽しい日々で、通勤時間が勿体なくて一人暮らしを始める事にした。物件探しを店の勧めるままに見学し、契約しそうになった。相談したら、もっと別の物件があるんじゃないかと、後日に別物件の内見から契約まで付き合ってくれた。そんな父が逝った。

幡ヶ谷の、日は当たらない半地下のような部屋だったけれど、とにかく便利で肌に合った。そこに6年は住んだだろうか。その間に正社員を辞め、無職となってあっという間に貯金が溶けた。そんな自分を見兼ねて、ポンと生活資金をくれた。そんな父が逝った。

働かねばと派遣社員へ変わり、職場を転々とするうちに彼女ができた。彼女の父の仕事を手伝うという変な縁に乗っかって、結婚して娘もでき、気が付いたらあんなに忌み嫌っていた地方に家を買っていた。次男なのをいいことに、親の老後の事から目を背けていた。定年退職し、母と仲良く老後を過ごしているようだった。たまに電話をしてみても、ほとんど母としか会話をしなかった。あまり自ら話すような人ではなかった。そんな父が逝った。

夜中にゲームをしていたら、兄からショートメールが来た。交通事故に遭って意識不明、長くはないとの事だった。全く心の準備が出来ていなかった。狼狽えて変な声が出た。翌日に仕事のデータをクラウドへ上げ、ノートパソコンを掴んで帰宅途中に、脳死が確認されたと連絡を受けた。最低限の持ち物とノートパソコンを抱えて新幹線に飛び乗った。5時間後に目にしたのは、チューブまみれで眠っているような父だった。その手はまだ温かく、しかしピクリとも動かなかった。もう、出来ることなど何も無かった。それがもどかしくてたまらなかった。側頭部に大きなガーゼがあり、血が染み込んでいた。衝撃の強さを物語っていた。夜まで病室にいて、駅前のビジネスホテルへ戻った。シャワーを浴びれたのは良かったが、あまり眠れなかった。明け方に危篤との連絡があり、バスに飛び乗った。病室には昨日と全く同じく眠っているような、父がいた。

昼頃に、一度自宅へ戻ることに決めた。容態が安定しているようだったし、片付けなければいけない仕事があったので、新幹線に乗って家へ戻った。訃報がないことを祈りながら。帰宅し、仕事をしている最中に連絡があった。父が逝った。

ひと月前、東京出張があった。いつもは友人と会うのに、何故かふと、両親に顔を見せようと思って会った。一緒に食べた蕎麦は美味く、両親も結構食べていた。それなりに年をとったとは思ったけれど、まだ10年くらいは大丈夫かななんて、ぼんやりと思った。もともと足が弱くて、少しのそのそと歩くような人だった。それでも「毎日10000歩歩くんだ」と、父が言った。

その日の夕方は土砂降りで、そんな中でも父は歩きに出かけた。見通しの良い交差点で、横断歩道を渡っていたときに左折の車に跳ねられたらしい。側頭部を強く打ち、出血が脳を圧迫した。父が痛まず、苦しまずに意識を失っていてくれたなら幸いだ。

後悔は山程あるが、ひと月前に会った時に、少しでも安心させてあげられたら良かったなと思った。今はこんなに立派にやってると、胸を張って言えたら良かった。そうではない現状を、自嘲気味に語った自分は卑怯者だった。けれど父は優しかった。そんな父が逝った。

今日、最後のお別れをした。雲が多かったが、帰る頃には青空だった。そんな空に灰となって、父が逝ってしまった。

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上埜ヒデユキ
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