ドラマを見続けていた理由
最近洋画のドラマを再び見るようになった。
今までは、日本のドラマを見ていたのだが、2つを比較して気づいたことがある。
「ドラマを見ればその国の文化、習慣、価値観がわかる」だ。
当たり前のことだが、ドラマは日常生活のシーンが多く出てくる。
それはその国の当たり前が描かれていて、日本と海外、さらに言えば国によって違うことに気づく。
日本にも良いところはたくさんあるし、海外にも良いところはたくさんある。
ドラマを見る側は、これらから「良いとこ取り」をすればいいのだ。
日本の良いところは残し、海外の良いところを取り入れる、だ。
私は海外ドラマでは、「考え方」「価値観」「生き方」を取り入れている。
海外、特にアメリカドラマはスケールが大きい。
日本のドラマセットとは比べ物にならないくらいのセットを使っている。
それは、資金力の豊富さもあると思うが、根底にあるのは国土の広さと新しいものを取り入れることによる、考え方の視野の広さではないか、と思う。
日本ではあり得ない、誰も想像してないことが、国を超えるとあり得ることとなる。
ありえないと思ってることは、人の意識にさえ浮かんでこないので、知らない、存在しないのと同じことだが、ドラマを見るだけで「知ってる」「あり得る」事となる。
これによって、私が漠然と抱いていた「ありたい姿」をビジュアル化してくれたのだ。
小説も大変好きなのだが、その理由は自分の頭の中で映像を作り出せるからだ。
主人公の顔も、風景も、すべて自分の想像通り。
文字から自分の世界を作ることができる。
だから、小説が映画化されると見に行きたくないのは、自分の中での主人公と映画の主人公の俳優の姿があかりにも違うことがほとんどだからだ。
ただ、自分の中での映像化の弱点は、「自分が知っている世界しか描けない事」だ。
主人公の顔も、風景も、自宅の家具も自分の知っている範囲でしか、想像はできない。
一方映像は、違う。
絵を見せてくれるので、自分が知らない世界を一瞬で見せてくれ、自分の世界を広げてくれる。
私は、漠然と描いていたありたい姿をビジュアル化できていなかったのだが、海外ドラマで見事にビジュアル化してもらえたのだ。
「そうそう、こんなところに住みたいの」
「そうそう、こんなコミュニティに属したいの」
「そうそう、こんな生活をしたいの」
と言うように、だ。
輪郭がぼんやりしていた絵が、一気にカラーになり、静止していた絵が動画になった感じだ。
これは、日本ドラマだけを見続けて、その後海外ドラマを見るようになったことが、両者の比較をたやすくしたのだろう。
目的地がはっきりすれば、あとはそこに到達することだけ考えれば良い。
ドラマを暇があれば見続けていたのは、ドラマにより自分のありたい姿を明確にビジュアル化するためだったのだ、とようやくわかる結末となった最近だ。