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思い出のロッキングチェア


私が16歳の時、念願だったアメリカへの留学を実現しました。
私が5歳くらいの頃、地元福岡ではほとんど見かけることがなかった白人の人たちが通りで立ち止まり話しているのを見て、半ば放心状態で彼らを見つめていました。
彼らの口から出てくる初めて聞く言葉が、とてもかっこよく感じ、それが英語だったのかどうかも今となってはわからないのですが、勝手に英語だと思い込んで「あの言葉を将来絶対にしゃべれるようになりたい」と子ども心に思いました。

それをずっと忘れることなく、習い事の一つとして「外人の先生のいる英会話スクールに通いたい」と親にねだり、小学校5年生の時、アメリカ人の女性の先生が教えるスクールに通わせてもらいました。毎週日曜日が楽しみで楽しみで、一度も休むことなく通っていました。

さらに私の夢は膨らみ、「将来絶対にアメリカに留学する」と心に決めていました。
大学に行けばきっと留学のチャンスはある、と思っていたら、高校一年生の1学期終了の日に、ホームルームで担任の先生が、「夏休みの注意事項」を話した後に、付け足しのように「ああ、今短期、長期の留学の話が来ているから、興味がある者は職員室まで聞きにくるように」と言ったのです。
私は、何も考えず、衝動的に教室を出ていく先生の後ろ姿を追いかけました。

「先生!」
「おお、どうした」
「私留学したいです」
「そうか。短期か長期か」
「長期がいいです」
「そうか。親には相談したのか」
「いえ、これからです」
「じゃあ、まず親に相談してから英語の○○先生が担当だから、先生に相談にいけ」

クーラーなんてない頃の、古い校舎の廊下で、窓から差し込む夏の日差しを浴びながら、先生と立ち話をしたあの光景は今でも覚えています。

家に帰ると、たまたま家に父がいたので、「アメリカに留学したいんだけど」というと、「おお、いいぞ行ってこい」と、あっけなくOKが出ました。
その後母に言うと、顔を曇らせ、「お父さんに聞かないと」というので、「もう、聞いたよ。いいって言ったよ」というと、さらに母は困った顔をして、「お母さんはちょっと考えさせて」と言いました。

それから2週間ほど経ったでしょうか。
ついに母の許可が出て、英語の先生に相談に行きました。

母は、相当悩んだようです。
しかし、「もしここで私が反対して、留学に行かせなかったら、将来「お母さんが行かせてくれなかったから、私の人生はこんなふうになった、って言われたくないから、行かせることにした」と思ったそうです。
私の性格を熟知した(?)母の一言でした。

様々な準備を経て、17歳になる直前の夏、アメリカ合衆国コロラド州コロラドスプリングスにある、ドイツ系アメリカ人のホストファーザーと、ペルー人のホストマザー、7歳の女の子と3歳の男の子がいる家庭にホームステイをしながら、地元の公立高校に通い始めました。

ホストマザーについては、こちらに書いていますし、留学のことについても他に記事を書いているので、よかったらご覧ください。


このホストファミリーの家は、二階建ての木造家屋でした。
外からみると、薄いクリーム色に塗られ、とても暖かな雰囲気がする家でした。
アメリカの一般家庭だったのですが、フロントヤード、バックヤードの両方があり、バックヤードでホストマザーは野菜も育てていましたし、時折日曜日にはバックヤードを見下ろす位置にある木製のテーブルと椅子に座って、料理好きのホストマザーが作る、手作りハンバーガーや、焼いたワッフルを朝食として食べていました。

部屋数は4つでしたが、上下階にリビングルームとバスルームがあり、40年以上前なのにすでに大きなオーブンと食器洗い機、そして洗濯乾燥機付きの洗濯機があり、「ランドリールーム」と呼ばれる洗濯用の部屋もありました。
「なんて進んでいるんだ」と、まるで途上国から来た人のようにアメリカを見ていました。

そのお家では、18時には夕食を食べ、その後8時には子供達は各自の部屋で寝ると、ホストファーザー、マザー、そして私は一階のリビングでテレビを見るのがいつの間にか習慣になっていました。
リビングには一人がけのソファがいくつか置いてあり、私にはそのうちの一つの木製アンテークのロッキングチェアが与えられました。

ロッキングチェアなんて、日本では見たことがなく、興味津々で座ってみると前後に揺れ、その揺れが心地よく、私の大のお気に入りになりました。
毎晩毎晩、3人でニュース、ドラマ、などを見て、いろんな話をしました。
まだまだ私の英語力が足りなかったので、片言ではありましたが、「ドラマは良いリスニングになるから」と言って、探偵もの、刑事もの、ファミリーもの、コメデイなどのドラマをたくさん見せてくれました。
確かにあの時の毎晩のテレビ鑑賞は私のリスニング力を鍛えてくれたと思います。

暖炉もある、典型的なアメリカの家庭のリビングルームは、幸せの象徴に見えました。
冬にはマントルピースの暖炉に薪をくべ、火を起こし、鉄串に刺したマシュマロを焼いて食べたり、クリスマスにはマントルピースの棚の上に、次々に送られてくるクリスマスカードが並べられたり、40年も前の日本では決して経験できない経験をしました。

時は流れ、娘が小学生の頃ベッドを買いに家具店に行った時、木製のロッキングチェアを見つけました。
ベッドも選びましたが、どうしてもこのロッキングチェアから目が離せません。
「買わずに後悔したくない」と思い、数万円の椅子を買って帰り、それ以来何度引っ越しても手放さずに私の手元にあります。

しかし、実際にロッキングチェアに座ることがほとんどなく、(ソファがあるのでそっちに座ってしまう)半ば物置のようになっていました。
そのため、断捨離の際に「もう処分しようかな」と思っていたのです。

ところが今朝、夢を見ました。
あのホストファミリーの家のリビングルームのような場所に私がいて、その部屋の片隅に木製の、私が持つものより少し淡い、白木のような色のロッキングチェアが置かれてあり、それを見て私は感動して泣く・・・というものでした。

目が覚めてもその光景は記憶に残っており、部屋の隅にあるロッキングチェアに「ごめんね」と私は謝りました。
手放しをやめよう、もっと使ってあげよう、と思ったのです。

夢がメッセージを送ってくる、というのは先日も経験しています。
その夢のおかげで、私は一つのことを再開しました。

「もっと使ってよ」という、ロッキングチェアからの叫びだったのかもしれません。
今日、早速ロッキングチェアを部屋の真ん中に置き、久しぶりに座り、思い出に浸ってみようと思っています。

皆さんも、どうぞ素敵な週末をお過ごしください。

お知らせ

明日10月14日(月、祝)10時から、「おしゃべり会」を開催します。(参加費無料)
オンラインですので、どこからでも朝のコーヒータイムに参加してみませんか?

テーマは「自由に生きる」
すでに、参加お申し込みをいただいた方々も、「自由に生きたい」と切実に思っていらっしゃるようです。
私、Hiromi Uと、進行役の笠原 なつみさん、そして参加される皆さんのおしゃべりを聞いてみるだけでも構いません。
詳細は、こちらをご覧ください。

初めての試みで、今から私がワクワクしています。
皆様のご参加をお待ちしております。


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Hiromi.U
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