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「手放し」とは「卒業」

皆様、どのようなクリスマス イブをお過ごしでしたでしょうか?

私は、しっかりクリスマスケーキも食べ、一応ご馳走なるものも作り、家族と過ごしました。家族ともいろんな話ができました。
昔話、現在の話、お互いの関係について。家族と深い話ができるのは、ありがたいことです。

そのクリスマスの朝、起き抜けに浮かんできたのが「手放しは卒業」という言葉でした。
手放しとは、一言で言えば「別れ」です。

物との別れ。

人との別れ。

これらがすぐに思いつきますが、他にもあります。

習慣との別れ。

仕事との別れ。

土地との別れ。

古い自分との別れ。

これらを一般的な言葉で言うと、離婚、友達の解消、転職、離職、引越し、新生活、新たなスタート、です。

これら全てには、「決断」が必要です。「決めて、断つ」。

でも決断にはいつも勇気が必要です。決めることも怖いし、今まで続けてきたことを断つことに、罪悪感を感じるかもしれません。しかし、それは「別れ」ではなく、「卒業」なんだ、と思えば、罪悪感を感じることもなくなり、決めることができるかもしれません。

かく言う私は、大きな決断をするときにはかなり時間がかかる方です。

嫌だな、こうなったらいいな、と言う直感はすでに働いているのに、その直感にすぐに従うことがあまり得意ではありませんでした。自分が納得する理由を探して、それが腑に落ちたとき初めて決断ができるようです。

スクールを東京へ移転するときも、ある人からさらりと提案されたことがきっかけでしたが、その後決断するのには、私なりの理由が必要でした。東京で勝負してみたい、と言うのが一番大きな自分を説得する理由でした。

引越しも、「ここにはもういたくない」と思いながらも、様々な決断が必要で、最終的には「自分が回復するために必要な場所にいく」という理由を見つけ、納得し、決断しました。

最近も一つの決断をするのに時間がかかり、ようやく「自分自身の成長のため」という、理由を見つけ納得し、決断しました。

でも、本当は理由なんてどうでもいいのです。ただ、私が納得しなければ動かない、いや、動けない人だから理由を探しているのにすぎません。

「嫌だな」「ここじゃないな」「これじゃないな」と感じた、その直感が教えてくれているのは、「もう卒業していいよ」ということなのです。

だから罪悪感なんて感じる必要はない。だって、学校を卒業するのに罪悪感を持つ人なんて、誰もいないから。
罪悪感を持つのは、「何事も続けることが大事」「石の上にも三年」「周囲のことを考えて行動する」「人の役に立つ人になりなさい」という言葉を刷り込まれているからでしょう。

これらの言葉全てを否定するわけではありませんが、学校に卒業があるように、何事にも卒業のタイミングはやってくるのに、それを否定するのはおかしいのです。
学校が卒業ですよ、と言っているのに、「いや、まだ私は卒業したくありません」という人はほとんどいないでしょう。なぜなら「卒業は自然なことであり、決まりだから」

人生にも、何度か卒業のタイミングがやってきます。
それが、離婚、友達の解消、転職、離職、引越し、新生活、新たなスタートなのでしょう。これらのタイミングが来たら、「ああ、私は卒業していいんだ」と思って決断すればいいのです。

(今、自分にもこれを言い聞かせています)

直感を受け入れ、罪悪感を手放し、決断していく。決断さえも本当は必要なくて、「そうなっている」のかもしれません。ただ、私のように「自分が納得しないと動かない」という性格の人にとっては、理由を見つけ、罪悪感を手放し、決断しているようなのです。

人生の最後の卒業が、死です。仏教では仏様になる、という言い方をしますが、まさに生きることからの卒業であり、苦しかったこと、悲しかったことからの解放でもあります。同時に、楽しかったこと、嬉しかったことは思い出として持っていくのでしょう。

「手放し」という言葉は、「手を離す」から来ているのだと思えます。今までつないでいた手を離す。手をつないでいたのは、物や人、古い自分、仕事、習慣、土地です。でもそれらがもう必要なくなったから、手を離す、のです。

そして、「卒業」とは「課題の解決」。
3年間の教育カリキュラムをこなしたからこそ、卒業できるのと同じように、人は生まれたときにそれぞれ解決したい課題を持って生まれてきているそうです。これを「カルマ」と呼ぶそうですが、自分では忘れていても、その課題は目の前に必ず、何度も現れる。やがてそれらを手放す時が、カルマを卒業した時なのだと最近ある人に教えてもらいました。すると、それまで抱えていた罪悪感がさーっと消え、より自由に次のステップに進めそうな気がしています。

結局、手放し、卒業は私たちそれぞれの人生に組み込まれたプログラムなのでしょう。だから、逆らっても、打ち消しても打ち消してもその流れはもう止められないのでしょう。じゃあ、無駄な抵抗はやめて、その流れに乗ってみればいいのです。(自分に言っています)
学校を卒業するとき、卒業後の進路を決めずに卒業するような場合もあるでしょう。もちろん、卒業後の進路が決まっている方が安心して卒業はできますが、「しばらく好きなことをやってみるか」と思って卒業をするのもいいのかもしれません。

日本にはありませんが、欧米には高校を卒業後1年程度「ギャップイヤー」という制度を利用して、18歳くらいの若者たちが進学も就職もせず、好きなことをする1年間に充てるのだそうです。何をするのも自由。自分で決めて、自分でやってみる制度です。現実には多くの若者が、ボランテイアや留学などをするようですが、それらを通じて、大学に進学するのか、働くのか、起業するのか、はたまたボランテイアを続けるのかを決めるのだそうです。

このように、「進路が決まってないからこそできること」を十分にやってみて、自分が本当にやりたいことを探す時間があるというのは、本当に羨ましい限りです。日本は「安定思考」が強いからなのか、卒業後の進路が決まっているのが当たり前なので、このような制度は普及しないでしょう。

私も今年の2月末にスクールをクローズするときには、「小説を書く」ということ以外には何も決まっていませんでした。不安でした。やがて、好きなことだけをしている毎日がとても心地よく、今まで気づかなかったことに気づき、小説を書き続け、またいくつかの卒業を迎えようとしています。

これから大小含めて、あと何回卒業を迎えるのかはわかりませんが、最後の卒業の時まで流れに乗るタイミングを早めていくことが、次の私の課題なのかもしれません。

全ての人が心穏やかに過ごせますように。

MERRY  CHRISTMAS!!

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Hiromi.U
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