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人生に無駄なことは一つもない


「人生に無駄なことは一つもない」という言葉を一度は聞いたことがあるだろう。
しかし、本当にそう思っている人と、そうでない人がいると思う。もしかすると、そうではない、と思っている人、すなわち「いやー自分は結構無駄なことしたな、と思っている」と思っている人の方が多いのかもしれない。

もっと早くに気づていたら
もっと早くに辞めていたら
もっと早くに勉強していたら

そんな言葉を何度か聞いたこともある。

一体、どちらが本当なのだろうか。

私は、先日「無駄なことは一つもない」と実感をした。それは、たった2日間だけの通訳アルバイトを経験した時だった。たった1時間ほどのオリエンテーションを事前に受けただけで、あとは当日会場で、与えられた場所でスタッフの人の指示に従い、役割を果たしていく、というものだった。しかし、想定外のことが起きるのがイベントの常で、予定されていないビジネスミーテイングの通訳を突然頼まれたりした。その時から少し気がついてはいた。「人生に無駄なことは一つもない」ということに。

翌日は事前から予定されていたビジネスマッチングの通訳だ。合計4組、25分間づつの商談だ。
プレゼンする側が、海外のスタートアップ。プレゼンを聴く側が、大手企業という組み合わせだ。
前日に決まった企業の割り当てにより、私たちは事前に企業の下調べをある程度終えて、当日の通訳に入った。この時、学生時代に当時脚光を浴びていた同時通訳の仕事に憧れ、同時通訳の人たちはその仕事が決まると担当する仕事のクライアントである企業、業界、専門用語を短期間で徹底して調べ、記憶するということを知っていた。結局同時通訳の勉強はしていないものの、その知識は役に立った。

そして、当日。
25分間という短い時間で、海外スタートアップの社長や代表者たちがいうことを、理解し、日本語で伝え、日本大手企業側が質問することなどを英語にしていく、ということを繰り返していた。必要となるスキルは、英語力だ。

しかし、すぐに英語力だけでは難しいことに気がついた。
これはビジネスミーテイングなのだ。だからこそ、今まで私がやってきた講演の仕事、自分でビジネスをしていた経験、営業をしていた経験、面接指導をしていた経験、の全てを総動員しているからこそ、スタートアップの側の立場も気持ちもわかるし、大手企業側の立場も考えもわかる、と実感していた。
Win-winの関係になることが、双方にとって大事で、それがわかるからこそ英語と日本語で聞く説明、質問、答えの意図がわかる。内心、すごく楽しいと感じながら通訳をしていたのだ。

楽しいと感じた理由を、終わってから考えてみた。
それはおそらく自分が持っているものを、最大限活用することができた喜びなのだろう、と思った。
自分の持っているもの、すなわち「価値の最大化」だとしたら、それが実現できていることは、無条件に嬉しく、楽しい。魂が震えるレベルだ。おそらく「自分を生かしてくれてありがとう」という魂の声だ。

そして、この時私が感じた「今までの経験が役立っている」ということを、証明してくれた人が現れた。
この通訳アルバイトには、近隣の大学の学生たちも参加していた。きっと英語力に自信があり、英語サークルなどにも所属している人たちなのだろう、と思った。このビジネスマッチングのアルバイトが終わった後、展示会会場に立っている一人の男子学生を見つけたので「通訳、どうでしたか」と聞いてみた。
すると、「そうですね。難しかったです」と答えた。そこで私は「何が難しかったですか」とさらに聞いてみた。彼は「いや、英語力もまだまだだなと思ったんですけど、それ以上にいろんな知識が足りないな、と思いました」と言ったのだ。
私が感じていることの真逆のことを感じている。同時に私たちは、同じ気づきにたどり着いている、と感じた。

「それは、経済、ビジネス、経営とかってことですか」と聞くと、「そうですね。経済の知識は全然足りていないと思いました」と答えたのだ。
内心、「やっぱりな。私がもし学生だったら、同じように感じるだろう」と思いながら「まだまだ若いから、これからどんどんいろんなことを勉強し、経験して知識を増やしていくといいと思いますよ。これがなんの役に立つのだろう、なんて考えなくていいから、とりあえず自分が興味を持ったことはとことんまで調べてみる、やってみるといいと思いますよ」というと、「ほんとそうですね。大事ですね」と言ってくれた。
お節介おばさんのいうことを素直に聞いてくれた男子学生は、きっとこれからぐんぐんと伸びていくだろう。

最後に、一つ思うことがある。
それは、「人生において望んでいないのにさせられた体験」と「望んで体験したこと」のどちらも無駄にならないのだろうか、と疑問だ。

この記事を書くまでは、「自分で望んで体験したこと」は、決して無駄にならないと思っていた。だからこそ、想定外にやってくる不幸なことや、挫折体験、学校や会社から強制されて経験したことは、しなくていいことだったのではないか、と思っていた。

しかし、これを書きながら考えを変えた。
やっぱり、「人生における全てのことは無駄にならない」と。

なぜなら、たとえば学校で強制的にさせられた勉強の時間は、「その教科が嫌いなんだ」ということに気づかせてくれる。将来の進路選択に結果的に役立っている。その嫌なら聞いているふりをして別の勉強をしていてもいい。(実際に私はそうしていた)

さらに、最近近所の小学校が、運動会の練習を毎日毎日数時間も行っているのを見ているのだが、
それは「全体練習」「みんなで力を合わせて」というものが多く、「あれは本当に必要なことなのだろうか」と感じている。
子供の頃はそれを当たり前だと思い、面倒だなと思ってもやっていたが、「私はみんなと一緒に何かをする、というのが好きではないのだ」ということがわかり、日本の学校教育がどの方向に生徒たちを引っ張っていこうとしているのかが、なんとなくわかるような気づきにつながっている。

これもやってみなければわからないし、必要ないと分かったらやらなければいいのだ。
つまり、「強制的にやらされたこと」によって自己分析ができる、という点では、「人生の全てにおいて無駄なことは一つもない」と言える。

また、私は息子を亡くす経験をしているが、これは無駄な経験であったけれど、人の心の痛みがや挫折した人の気持ちが理解できるようになった、という点では役に立っているのだと思う。
(もちろん、2度と経験したくはないが)

ただ、圧倒的に「自分が望んで経験したこと」の方が、活かせることが多い。だからこそ、「勉強したい」と思ったこと、「経験したい」と思ったことは、絶対にやった方がいい。
どれほど時間とお金がかかっても、だ。(騙されたりしては、いけないが)

これがなんの役に立つのだろうか、なども考えなくていい。
何年後か、何十年後がわからないが、あとから必ず、「無駄じゃなかった」と思える時が瞬間がやってくるだろう。


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