見出し画像

思考は現実化する

この「思考は現実化する」という言葉は、ナポレオン ヒルという人が書いた本のタイトルだ。
一度随分前に読んだことがあるが、確かこんな経緯でこの本を書いたというくだりがある。
それは、アンドリュー カーネギー、あのカーネギーホールを作った鉄鋼王が、20年間で500人の成功者にインタビューして成功哲学を体系化してくれないか、との誘いに、若かったナポレオン ヒルは即答で引き受けた、と。

ナポレオン ヒルは成功したいと思っていたから、すぐに引き受けたのかもしれないし、若かったからかもしれないが、無償で、20年間、500人という内容に即答できる人は少ないだろう。

・自分にできるのだろうか。
・その間どうやって生活しよう。

と考えて即答はなかなかできるものではない。

実際に、即答したのはナポレオン ヒルが初めてだったようで、カーネギーは即答した人に任せたいと、最初から思っていたらしい。
次々に成功者たちを紹介するカーネギーと取材を続けるナポレオン。
やがてこの本を出版し、ナポレオン ヒルは成功者となる。

今現在旅の途中なのだが、旅に出ると出会いがある。

初めての場所ばかりに旅する傾向にあるので、土地、人々、店、ホテル、景色など全てが初めての出会いだ。初めての出会いによって、過去出会ったものとの比較が容易になる。

今自分がいる場所との比較も容易になり、気づきが生まれる。

知らないことを夢見ることはできないし、複数のことを知るから比較もでき、自分が持ってるものや、今いる環境を再認識できる。
知らなかったことを知ることも、知ったことによって比較できることも、私にとっての学びであり、好奇心が満たされる最高の趣味だ。

一応旅に出る前に必要な知識を習得していくが、多過ぎないようにしているのは、思い込みを持ちたくないからだ。
思い込みは決めつけを呼び、素直に感じることができなくなる。
素直に見て、感じたままを文字にしていく作業は、私にとって心地がいい。

さて、この旅で感じたこと、気付いたことは山のようにあるが、それを書こうとしたら、冒頭の「思考は現実化する」という言葉を思い出した。

どこの国にも人が住んでいて、私は人に興味があるので、彼らと会話し、言葉が通じない場合は観察してしまう。

今まで4大陸20カ国、30都市以上、国内は45都道府県に旅をしているが、国が街が違えば人種も、習慣も、文化も違う。

しかし、人としての傾向はいくつかのパターンに分かれる気がする。
その一つが、幸せと感じているかそうでないか、の違いだ。

自分が幸せだと心から感じている人は、誰にでも優しく、決して悪いことはしない。
なぜなら、自分が幸せなら、人にも幸せになってほしいとも思うし、悪いこととをする必要がないからだ。
彼らは、成功者だ。
自分がありたい姿を現実にできているのだから。

一方で、幸せじゃないと感じている人は、人の幸せを妬むし、悪いことをするし、意地悪をする。
実際に到着後、ライドシェアを使ったら、ドライバーにお金を多く取られそうになった。
しかし、ホテルは五つ星ホテルを予約していて、そのスタッフに英語がわからないドライバーと話をしてもらうと、当初の決まり通りの金額で解決した。

ここで同じ国、土地の人たちなのに、明らかに思考が違うことがわかる。
少しでもお金を取ってやろうという思考と、人の役に立ちたいという思考だ。これは性格というより、思考の違いだ。
(このベルスタッフのお姉さんにチップをあげたので、ドライバーも私に親切にしていたら、チップをもらえたかもしてないのにもったいないことをしてるな、と思った。この辺りのやり取りは、旅記事に書く予定だ)

おそらくドライバーは幸せではなく、ホテルのベルスタッフの若い女性は幸せそうだった。
これは年代の違いなのだろうか。

この国では若い女性がイキイキと楽しそうに働き、仕事もできる。
ドライバーは中年男性でくたびれた感じがした。
でも年代の違いだけではなく、運不運でもなく、思考の違いだと感じたのだ。

今目の前にあることに気づき、感謝する。
さらに何が欲しいかではなく、どんな生活やどんな人生を送りたいかを、明確にする。そしてその方向に向かう。
日々をその方向に向かうためだけに、時間を使う。
するとやがて、そんな生活をしている自分となる。
これこそが、思考が現実化するということだと思ったので、この言葉を思い出したようだ。

この思考が現実化するプロセスについては、本などで読んではいたが、
実感することはできてなかった。
でも、この出来事で「思考の違いと大切さ」を実感し、納得した。
彼らを見ていて、話していて、彼らが持つ、目には見えない思考が透けて見えた気がしたからだ。

到着して2日目の朝、どうしても朝陽が見たいと思い、早起きをして記事を書きながら6階のバルコニーから見ていた。
徐々にビーチを散歩する人が多くなり、まだ暑さが顔を出していないこの今の瞬間をビーチを歩きながら感じたいと思った時、取るものもとりあえず、着替えてビーチへ向かった。

既にホテルスタッフたちは日常の仕事を開始していたし、観光客たちは朝陽をスマホに収めようと、太陽の真正面で波と戯れながらその時を待っていた。

深呼吸をする。

そこにいる人たちは全員裸足なのに気づき、ビーチサンダルを脱いだ。
アーシング。
そんな言葉が浮かぶ。
昨晩のスコールによって固くなった異国の、初めての砂地と、今触れている。

やがて、雲を抜け朝陽が顔を出した。

この光景は、ここにいる人、世界中のすべての思考の人に平等だ。
全員が見ることができる景色だ。
あとは、それをどう捉えるか、だけだ。

人は太陽に憧れ、敬意を示す。
様々な国に行ったがそれはどこも共通だ。

朝陽、夕陽に人は見惚れる。誰もが平等に見ることができる太陽だ。
ただ、それを見て、「美しい」と思うのか。
また美しい以外に何を思うのか、は人それぞれだ。

忙しすぎる人は、そもそも朝陽を見ていない。
心に余裕がない人は、朝陽を美しいとは思わない。

朝陽を見るためにここにいる人たちは、きっとこれを美しいと思っている。
私たちは幸せなんだろう、きっと。

その後、ビーチにある木とロープで作られたブランコを見つけ、躊躇なく乗った。
ブランコに揺られながら、私は確認した。

今回のように、旅をしながら書いていく生活がしたい。
今宿泊している部屋のような部屋に住む。
毎日のスケジュールは、それを実現するために使っている。

うん、これでいい。

ずっと探していた、この旅に出た意味を見つけ、目的を果たせた気がした。


サポートありがとうございます!いただいたサポートは、次の良い記事を書くために使わせていただきます!