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「タイパ」からの離脱


最近いろんなことがようやく腑に落ちてきた。

なぜ、27年間続けたスクールをクローズしたのか。
なぜ、最近少しづつ動こうとしているのか。

理由は一つではないことはわかっていたのだけど、大きな理由が案外わかっていなかったらしい。

では、最近わかったことは何か、というと、
「違う自分になりたかった」いや、「本来の自分に戻りたかった」らしい。

以前の私は「仕事柄こんな振る舞いをしないといけない」
「仕事柄、こんな服装が相応しい」
「仕事柄、ちゃんとしないといけない」と思っていた。
それが本来の自分とはちょっと違っていて、だんだんとそのギャップが苦しくなってきたらしい。

仕事柄服装をなんら問われることがない娘が、デニムで出社するのを見て「いいなあ」といつも言っていた自分を思い出す。あれは、魂の叫びだったのだ。

本来の私とは、デニムが大好きだし、スーツも嫌いじゃないけど、いつもスーツだとなんだか疲れるし、人前でしっかり、きっちり話すこともできるけど、ざっくばらんに、飾らず話すほうが好きだ。
そんな自分を「出してはいけない」と思っていたのだ。
もちろん、本当は出しても良かったのかもしれない。しかし、YouTubeなどもやっていると、だんだんとそのイメージを壊してはいけない、と思うようになったらしいのだ。
一度全て終わらせないと、本来の自分には戻れない気がしていたから、全てを手放した、らしい。

では、手放してどうだったのか?

すごく楽になった。
仕事の責任から解放された、ということももちろんだが、本来の自分でいい、どんな服装でも構わない、という日常が戻ってきたことで、深く呼吸ができるようになった気がした。
どうやら本来の自分を取り戻したらしい。

本来の自分を取り戻しながら、小説を書き、塾講師のアルバイトを始め、旅に行っている。
本来の自分を取り戻したからこそ、このままの自分で新しいことをやりたいな、と思ったからこそ、「おしゃべり会」もやってみようか、と思ったらしいのだ。

自分に嘘をつき続けることはできない。少なくとも私は。

元々スクールを始めた時は、自分らしい自分でスタートしていたのだが、キャリアと経験を積み重ねるうち、周囲が作った私のイメージに押しつぶされそうになっていたのだ。
それと戦って、本来の自分でい続けることもできたのかもしれない。
でも、不器用な私はそれができなかったし、仕事では十分に結果を出したし、達成感を味わってきたと思っているので、次のステップに行きたくなったのかもしれない。

朝顔が咲くまでを観察し続けた人は多いだろう。小学校でタネを植えて育てることを経験させるカリキュラムがあったからだ。(今もあるのかは、知らないが)
だから私たちは知っている。
朝顔にどんなに肥料をたくさんあげたとしても1日では決して花は咲かないことを。
芽が出て、茎が伸び、つるも伸びて、蕾ができてようやく花が咲く。
花が咲くには、太陽と時間が不可欠だ。

人間も同じだろう。

時間をかけなければできないことがたくさんある。
「ローマは1日にしてならず」という言葉があるように、どんなに「タイパ」つまり、タイムパフォーマンスを効率化しても、無理なものは無理なのだ。
自分と向き合うことも、自分を変えることも、本来の自分を取り戻すことも、時間が必要だったらしい。

スクールクローズから7ヶ月が過ぎた。

一度世間のタイパから離脱しなければ、本当の自分を取り戻すことは不可能だったのだ。
もちろん全ての人が、この離脱ができるかどうかはわからない。
でも、ほんの1日でも「タイパからの離脱」をしてみると、見逃していた自分が考えていることや感じていることに気づくかもしれない。
それが大きなきっかけとなって、次のステップにつながるのだとしたら、「タイパからの離脱」は、誰にとってもとても意味があることなのかもしれない。

花は1日で咲かないのだから。
私たちも1日では咲かないのだ。


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Hiromi  U.
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