あのときめきは、今も私の胸に
今日はバレンタインデー。
チョコレートが一年で一番売れる日だ。
この業界の仕掛けが見事に当たったんだな、と感じる。
単純にバレンタインデーを喜べず、社会のカラクリを知っているのは、私が年をとったからだな、と自分で自分を笑う。
バレンタインデーというものが流行り始めたとき、私は小学生だった。
小学生のお小遣いで買えるチョコレートは知れているが、、ちゃんと小学生が買えるハート型のナッツ入り板チョコを用意していたのは、さすがとしか言いようがない。
そのチョコレートを好きな男の子に渡す時に感じた、あの胸のドキドキ、バクバク、もう心臓が飛び出さんばかりのあのトキメキは、今でも覚えている。
なぜあんなにドキドキしたんだろうか。
それは、その先が見えないから。
受け取ってもらえたら、ホワイトデーにお返しが来たら、私は絶対に幸せになれる、と信じていたから。
その男子のことがすごく好きだったから。
この3つのうち、大人になると失うものが2つある。
その先が見えないから→ある程度その先がどうなるのかは、経験によって知ってしまった。
知らない、ということは素晴らしいことだと思うし、若さのいいところは「経験がない」ということかもしれない。
相手も自分を好きでいてくれたら、幸せになれると信じていたから→確かにその瞬間は幸せだろう。そしてその瞬間だけでいい、と潔く思えたら幸せだろう。
しかし、その後「続ける」ということ、続けた先にあるものは、全てが幸せな結果に終わらないことを、私は知っている。(他の人は分かりませんが)
その瞬間だけに生きる、ということが、どれほど素晴らしいか、と改めて思う。
最後の「人を好きになる」→これだけは、年齢を重ねても無くならない。
好きになれるということは素晴らしいことだなーと思うし、好きになった瞬間から喜びと苦悩も始まることは知っている。
しかし、どうせなら今までの経験で「その瞬間幸せならいいんだよ」と自分に言ってあげたら、たくさん人を好きになって、その瞬間幸せで、いい事尽くしになる。
もちろん、モラルや周囲を傷つけないという大人の配慮は持ちつつ、でも好きなだけなら誰にも迷惑はかけないし・・・と思う。
大人になって失うもの、得るもの、は結局ほぼ同じなのかもしれない。
ただ思うのは、あのときめきを思い出せたのは、間違いなくバレンタインというイベントのおかげなので、ありがたい。
どうぞ素敵なバレンタインを!
ハッピーバレンタイン!!
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