見出し画像

おせちの裏舞台


毎日少しづつ作ってきたおせち料理が完成した。
二段の重箱(うちのは二段)が、一応綺麗に埋まったのをみて、ほっとした。
これでしばらく料理をしなくていいからだ。

元々おせち料理は、お正月三ヶ日お母さんが台所に立たなくていいように、という理由があると聞いたことがある。
掃除も、大掃除をすることで、お正月はしなくていいのだ。

高校時代のアメリカ留学で滞在したホームステイ先で、12月31日に自分の与えられた部屋の掃除をしていたら、「なぜ掃除をするのか」と聞かれ、
「1年間の汚れを全て落として、来年を気持ちよく迎えるため」という日本の習慣を伝えると、とても驚き、感心され、手伝ってくれた記憶がある。
年末年始には海外のクリスマス同様、日本の習慣がいっぱい詰まっている。

大人になって、家庭を持って、それまで母親が作るおせち料理を手伝うだけだったのが、見よう見まねで作るようになり、相当の月日が経った。
そして、いつも思い出す光景がある。

私が子供の頃、お正月は父の実家に親戚一同が集合していた。
父のきょうだいは6人。それぞれに配偶者と子供がいる。
合わせれば、24、5人ほどになるだろうか。

この大人数が食べるお節料理を作っていたのが、父の兄嫁だ。
長男の家に嫁いだ昭和の花嫁は、毎年お正月とお盆にこれだけの親戚が集まり、全員が食べる料理を作っていたのだ。

私たちはただ行って食べて、時に泊まって帰るだけ。
子供の頃には、そんなものだと思っていたが、大人になり自分でおせち料理を作るようになって、あの伯母(父の兄嫁)の苦労はいかばかりだったのか、とようやく思いを馳せることができるようになった。

おそらく私に同じことはできない。
それを毎年毎年、嫁いでから祖母が亡くなるまで、おそらく50年前後続けてきたことになる。
その伯母にちゃんとお礼も言わないまま、伯母は数年前に亡くなってしまった。

もちろん今の時代、こんなことをやっている人はほとんどいないだろうと思う。
もしいたとしたら、それは本当にすごいことだし、決して当たり前のことでもないし、立派なことだと伝えたい。

手がかかるおせち料理を私は作っていないが、伯母は手がかかるものも、お正月の相当前から準備していてくれていた。
私は伯母の作る、「棒ダラの炊いたの」が大好物だったが、母は決して作らなかった。
「なんで作らないの?」と聞くと、「あれは相当前から水につけておかないといけないから」と、暗にそこまで面倒なことはしたくない、という気持ちが
見えた。(母も十分におせちは作ってくれていたが、それだけはなかった)

私と伯母は血がつながっていないが、毎年お世話になった恩は忘れないようにしようと、いつもこの時期になると思う。

今となっては直接感謝の言葉は伝えられないが、心で手を合わせよう。

おせちの完成と伯母への感謝。
毎年のように、この2つが連想ゲームのように浮かんでくるのは、なぜなのだろう。


サポートありがとうございます!いただいたサポートは、次の良い記事を書くために使わせていただきます!