スクール名を決めた原点 ②
スクール名を決めた原点は実は忘れていた。
そして生徒さんたちにも話したことがなかったので、知らない人は多いと最近気づいた。
褒められる名前はこうして決まった
「未来塾」
いい名前ですねーと言われることはあるのだが、25年以上前にこれを決めたのには一つの理由がある。
その当時大変お世話になっていた、航空会社採用担当の方がいた。
この方には、採用試験について、採用の基準について、面接官は何を考えているのか、生徒さんたちの前でお話ししていただいたこともあるし、私も色々とご相談をさせていただいていた。
そしてスクールを開くことになったときに、「名前決めないといけないですね」と言われ、
「そっかー名前か・・・」と思っていた時、
「いわゆる、よくエアラインスクールにありがちな、カタカナ、英語の名前って僕はあまり好きじゃないんですよね」
と言われた。
確かに私も「○○スクール」とか「○○アカデミー」などは嫌だな、と思っていた。
そのときに「無名塾、ってあるじゃないですか。俳優さんを育てている。あんなのいいですよね」
とヒントをいただいた。
そのとき私も俳優の仲代達矢さんが奥様の宮崎恭子さん(演出家の隆 巴さん)が開いた俳優養成の塾であることはもちろん知っていた。
何より自宅で俳優の方々の相談に乗り、指導をされていたことが原点と知り、同列にするのは、大変恐縮だが私とも似ている点があると思った。
さらに、もう一つ「塾」と言えば、「松下村塾」を思い出した。
福岡の隣の山口県萩市にあった松下村塾。
あの明治維新の柱となった人たちを輩出した、吉田松陰の私塾だ。
これも同列にするのは、大変恐縮だが、実際に萩に行ったときには必ず松陰神社を訪れ、そこにある塾の畳の部屋を見るが、当時の私が教えていた塾と同じくらいの広さだったし、生徒さんたちの質問にはなんでも答えていた。
そこで、決めた。
若い人たちには未来がある。
その未来を支える塾であり続けようと。
そうして「未来塾」という名称に決めた。
教える基本姿勢
萩に行けば、毎回松陰神社を訪れ、昨年は東京の松陰神社にも行った。
原点はここ。
あの文机一つと畳の部屋。
私が何かを教えるというより、生徒さんたちに考えていただく。
そして疑問には答えて行く。
最終的にはその業界を変える人たちになってほしいという思いは今でもある。
今まで卒業生たちは700人ほどだが、航空会社で表彰されたり、サービスコンテストで優勝したり、管理職になったり、海外を飛び回り、国際結婚をしている人たちも多数いる。
あんなに小さなスクールから卒業して行った卒業生とは思えないほど、大きく成長して羽ばたいている。
原点を思い出した出来事
一方で無名塾の舞台は一度も見たことがなかった。
それが先日ふと目にしたツイッターから「仲代達矢70周年記念展」が開かれているのを知った。
ちょうど時間がある日だったので、行こう、と即決め翌日向かった。
舞台で使用した衣装、お部屋にあるソファなどが展示してあり、そこには70年にわたるご活躍の様子が書かれていた。
涙無くしては見ることができず、動画も視聴でき、感動してパンフレットも買った。
午後から舞台があることを知って、こんな機会はないかもしれない、仲代達矢さんがお元気なうちに拝見しておかなければ、と強く思った。
当日券の販売はしていないが、もしかするとスタッフの方に
言えば買えるかもしれない、とチケット窓口の方に聞いて、勇気を出してスタッフの方に尋ねてみた。
案の定当日券販売はしていないということだったが、明日はこれない旨を伝えると、ご迷惑だったと思うがチケットを売ってくださった。
そうして拝見した舞台。
仲代達矢さんの響く声。
ピンマイクなんてつけなくても、通る。
そして塾生の皆さんたちが次々に登場してくる。
若いが、その演技はしっかりしているし、江戸時代の時代背景も含んだ振る舞いにまた涙。
こうして一人一人の塾生の皆さんを、育てていることに、感動で涙。
奥様亡き後も、「倒れるまで続けようと思った」と書かれていた通り、仲代さんご自身が育てていらした若手熟成の方々の演技も素晴らしい。
厳しい審査を受けて、初めて塾生となるらしいが、3年間は学費無料。
そうしても後輩を育成しようと続けてこられているその姿勢に、これを書きながらも涙が止まらない。
私は学費無料なんてできないけど、実はそれが理想。
本当に資質がある人だけに集まってもらって、学費無料で育てるなんて、本当に素晴らしいから。
塾生の皆さんは、貴重な俳優でいらっしゃる仲代さんに直接教えていただいて、一生の財産だろうな、と思って帰途についた。
本当に出かけて行ってよかったと思っている。
こうして、一つのツイッターから私のスクール名の原点を思い出させてもらった。
私が決めていること
私がスクール設立当初から決めていることがある。
「生徒さんがゼロになったらやめよう」
と。
幸いなことに、まだゼロになったことがないから続けていられる。
コロナの時も、ゼロにはならなかった。
どんな時も若者が夢を持ち、それに向かって行く時のエネルギーはものすごく強い。
私はおそらく普通の人よりもエネルギーが強かったので、若い人たちを育てることが楽しいと感じるのだろう。
いつまで続けられるのかは、神のみぞ知る、というところだが原点は初心。
その初心を振り返ることができたことに感謝し、今在籍している生徒さんに感謝し、その縁を大事に、これからも私ができることをやっていこうと思う。
恐れ多くも素晴らしい方々が作られた塾に重ねてスクール名を決めた自分を、少し褒めてもいいな、と思った。
人は誰でも原点がある。
その原点をときには思い出してみると、ピュアな気持ちになれると思う。
最後まで読んでくださった方にも、感謝を申し上げたい。
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