運任せな生き方
ちょっと前まで、「謎のふわふわ感」というタイトルで記事を書こうと思ったが、
あまりにもふわふわしすぎていて、やめた。
その代わりに出てきたのが、「運任せな生き方」。
結局同じじゃないか、と思うが、書いてみる。
仕事を辞めて4ヶ月が経った。
どうやって生活していくのだろう、と思っていたが、なんとかなっているし、何かしらの収入はポツポツと得ていて、これも感謝しかない。
ただ、不安になることも当然ある。
この「作家修行的な生活」がいつまで続くのだろうと思うことはある。
元々不安症なので、不安が襲ってくるとすごく焦ってしまっていたのだが、なぜか最近は「なんとかなるでしょう」と思えている。
それは、「運がいいから」と自分で信じているからだろう。
自分の回想録を8万字、原稿用紙で言えば200枚近くもかけて書いたとき、見直してわかったのは、「運の強さ」だった。
大変な時も、どん底の時もあったし、想定外の困難なことも降りかかってきたが、その度に誰かの一言、誰かによって、時に本によって助けられてきた。
それは、運の強さとしか言いようがないと思った。
もちろん、助けになった人には感謝しているし、今後もできることはしていこうと思っているが、その人たちに出会えたことも、救ってくれた本に出会えたことも、全ては運の強さだと思えるようになった。
回想録を書かなければ、決してこのことに気づくことはなかっただろう。
しなくてもいい苦労をしたのだから、自分は運が悪い、くらいに思っていたからだ。
回想録を書いたことで、気づいていなかった運の強さに気づき、だからこそ「運任せにできる」らしいのだ。
おそらくこれを読んでくださっているあなたも、運がいいはずだ。
だって、ちゃんと生きていて、健康でこの記事が読めているということ自体、運がいいのだから。
もし、信じられないようであれば、一度「誰にも見せない回想録」を書いてみることをお勧めしたい。