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傷は思ったより深い

子供の頃はとにかく外で遊んでばかりだったので、よく怪我をした。

擦り傷
打ち身
冬場にはバレーボールのしすぎで、アカギレをした。

アカギレで、手の甲の親指と人差し指の間がパックリと切れてしまっていたが、結局自宅にあった「アロエ」を塗って、包帯をして、しばらくバレーボールを休んでいたらいつの間にか治っていた。

ただ、あの傷の深さには小学生ながら驚いた。痛みは案外覚えていないのだけど。

一方「心の傷」と言うものも、案外深いものだと、今朝気づいた。

毎朝のワークを継続しているが、紙に向かっていると次々に自動筆記のように、無意識にペンが動く感じがしている。

1日たりとも、「何を書こうかな」と思ったことがない。
そして、毎日A4サイズ3枚もの文字を書いている。

今日は、「もうこのワークは卒業していいかな」と思って、冒頭にそれを書いたところだった。

しかし、書いていくうちに全く無意識なのだけど、
「なんだ一番書きたいことを書いていないじゃないか」ということを思い出した。

すっかり忘れてしまっていたのだけど、10年くらい前に初めて小説を書いて、懸賞に応募したことがあった。

そのこと自体も忘れていたのだけど、忘れていた理由は、「思い出したくない」という、ショックな出来事にふたをしていたことに初めて気づいた。

初めての応募なのにどこかで期待していた自分がいて、何の講評も、返信もなく、入賞などはさらに論外だったのが、ただただショックだったことを思い出した。

そんな、いきなり入賞なんて多分あり得ないのかもしれないが、自分では仕事の前に朝早起きをして書き続け、仕上がった初めての小説(今となっては小説の体を成していたのかさえも怪しいのだけど)だったので、期待もしていたし、その分ショックだったのだ。だからすっかり記憶から消し、その後自分の仕事に専念していた。
私には無理なんだと言い聞かせて。

そのことを思い出した時、「傷は案外深かったんだな」とようやくその傷とその深さを認めることができた。

胸はちくりと痛んだ。

今冷静に考えてみれば、挑戦したことに意味があり、完成させたことはすごいことなのに、勝手に期待をして、勝手に傷を負っただけなのに、一種のトラウマになって10年間封印していたのだ。

傷は思ったよりも深い。
思い入れが強いものほど、心を奪われていたものが叶わなかった時ほど、傷は深い。

特に傷ついたこと自体を忘れようとしてしまうために、その傷の深さを見ようとはしない。
傷ついたことを忘れようとするのは、自分の心を守るためだろう。

大失恋をした時と同じだ。
と、恋のことを書いていて、思い出した。
恋の傷も深かったな、と。

恋の話はまた今度にしようと思うが、今回ワーク中に傷を思いだし、その深さに驚いたが、今は傷を見る勇気も持てている。

その理由は、10年間で傷が癒えていたこと、つまり「時間が薬」だったことと、もう一つは「何があっても多分これから先書かずにはいられないだろう」と言う諦めに似た確信があるからだ。

10年前まではまだそこまでの確信が持てていなかった。

世の天才や小説家の人たちがどのように思っているのかは、エッセイなどでしか知ることはできないが、「書かずにはいられない」という気持ちを無意識にでも思っているような気がしている。

だから、入賞するかどうかよりも、書き続けられたことが彼らにとっては大事だったのだろう。

傷は本人が思っているよりも、ずっとずっと深い。

日常生活を送るために、自分の心を守るために、早い回復をするために、一旦傷ついたこと自体を記憶から消すことさえある。

でも、やがて傷は癒え、必要な時にはその傷を思い出すこともある。

まるで体の傷と同じように、かさぶたができ、それがポロっと、10年ぶりにとれたような気がしている。


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