我慢を手放す方法
「我慢」と言う言葉を聞いて、どう感じるだろうか。
以前は「我慢は美徳」のように考えられていたように思うが、今はあまりポジテイブな印象を受ける人は少ないだろう。
私もその一人だ。
我慢と聞くと、胃の辺りがキューッと締め付けられるようになる。
私のような自由人にとって、我慢は天敵なのかもしれない。
我慢はしないほうがいい。
最近、ようやくそう考える人が増えてきたように思うが、我慢を続けている人も少なくないように思う。
でも一体我慢って、何なのだろう。
私が思うのは、
自分がやりたくないことをすること。
自分の意思に反していることを、認めること。
それ以外にもあるかもしれないが、いずれにしても「自分の意思に反していること」なのだと思う。
自分の意志に反していることを、最初からやらなければ我慢は存在しない。
でも、我慢していると思っている人は案外多い。
なぜ、「我慢が存在する」のだろう。
多分3つの理由があると思う。
① 最初は好きだと思っていたのに、嫌いになってしまった
→これは何でもやってみなければわからない部分はあるので、ある意味仕方がない。
嫌いになってしまった時にどうするのか、が一番の問題だ。
さっさと離れることができればいいが、それができない人は、「我慢を続ける」ことになる。
② 義務だと思って、我慢している自分に気づいていなかった。
→これが一番厄介なケースだと思う。私も以前はこれに気づいていなかった。
母として妻として、先生として、と言う役割が持つものを果たさないことは、責任放棄だと思っていた。
だから「我慢している」ことに気づかず、でもどこかで胃がキューッと締め付けられる感じはあった。
それが「我慢によるもの」だと言うことに、暇ができて気づいた。忙しい人は、ずっとこの「気づかないままの我慢」をしている可能性がある。
我慢を続けると、やがて体に現れると病気になり、精神に現れると心の病になる。本人が気づいていなくても、必ずどこかに現れるのだ。
それに気づいた時に、どうするか。
もちろん本人が決めることだけど、体に現れてしまったら病気を治すためには、我慢をやめるしかない。たとえそのために、大きなものを手放すことになっても、健康より大事なものはないはずだから。
③ 嫌なことを断れない、嫌と言えない
→これは性格的問題で、嫌なものを嫌と言えるように育っていれば、人生大抵のことは大丈夫なのだけど、言えない場合は我慢をし続けることになる。
断れない人、とわかっていて我慢を強いる人も世の中には多くいるので、やはり「嫌と言える強さ」は、この世界で生きていくには必要不可欠に思う。
では、なぜ「嫌と言えないのか」
実際に私が生徒さん達と接してきて、このタイプの人が案外多いことを知っているが、その人たちの多くが「断ると、かわいそう」「相手に嫌われたくない」「断って気まずい雰囲気になりたくない」「その後の人間関係がうまくいかなくなるのが嫌」と言う。
つまり、「自己犠牲」を払っているのだ。
「私が我慢すれば、相手も嫌な気持ちにならないし、その後の関係もうまくいく」と考えている。
最も大事にするべきは、自分なのに。
だから私はこんなことを言う。
「その人に嫌われたら、あなたには友達や家族がいなくなるの?」
「全ての人に好かれることは、不可能だよ。アイドルでもアンチがいるくらいだから」と。
もちろん、すぐに断れるようになる人ばかりではないが、時間をかけて小さなことから断る練習をして、やがて嫌なものを上手に断れるようになる人が多い。
そして、断れるようになると、顔つきが変わる。すっきりとした表情になり、優柔不断さが消える。ごちゃごちゃ悩まなくなる。精神衛生上も良いように思う。
3つの考えられる理由を挙げてみたが、これ以外にも、いろんな理由があって我慢をし続けている人もいるかもしれない。
いずれにしても、自分にとって何が一番大事なのか、が明確であれば、我慢は手放せるだろう。
私の場合は、健康であれば何だってできるし、健康だから美味しいものを食べて、旅にも行けるので、自分の健康を害するほどのものは全て断ると決めている。自分を守るのは、自分しかいないから。
最終的には、自分の「軸」、つまり何を大事にして生きていくのか、が一つ定まっていれば、我慢は何らかの方法で手放せるのではないだろうか。
ちなみに、私は今は我慢がゼロなのか、と言うと実は違う。二つほど、期間限定で我慢しているものがある。
これは「責任放棄ができないから」続けているのだけど、残り数ヶ月で終わることが確定しているため、それまでいかに我慢を感じさせずにやっていこうか、を考えているところだ。(上記の理由で言うと、①のパターンだ)