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新しいことに飛び込めないとき


昨日「自分の居場所は自分で決める」


という記事を書いた。そこにコメントをくださった方がいた。
そこには、「新しいことに飛び込める時とそうでない時がある」と書かれてあった。

確かに、そうだ。
全て思いついたことができるわけではない。
いや、できる、というより、やっていいわけではない、という方が正しいかもしれない。

例えば、ある習い事をしたくても、なかなか勇気が出ないとする。
そこで、理由を書き出す。

・お金が心配
・時間が取れるのか
・続けられるのか
・そこの仲間と仲良くできるのか
・自分だけ初心者だったら、迷惑をかけるのではないか。

おそらくいくらでも「勇気が出ない理由」が出てくる。
そこから、一つ一つ「つぶせないかを考えてみる」のだ。

お金が心配なら、「どこかで節約できないか」「どこかで副業、収入を増やせないか」を考える。
時間が取れるのか、と思ったら、「どこかで時間を作れないか」自分の生活を見直す。
続けられるのか、と思ったら、「なんだってやってみないとわからないから、お試しをやってみよう」と考える。
そこの仲間と仲良くできるのか、と思ったら、「お試しでどんな人たちがいるか、雰囲気を知ってから考えよう」と思う。
自分だけ初心者だったら・・・も同じだ。先生がどこまでフォローしてくれるのか、仲間はどんな人か、によってこの不安も消えるかもしれない。

一つ一つ不安をつぶしていくと、「じゃあ、お試しでやってみるか」と思えたら、すぐに行動すればいい。その時の「気持ち」はとても大事だから。

大事なことは、本当はやりたくないのに無理にやらないこと。
楽しくなさそうなのに、やらないこと。

本当にやりたいのか、楽しいのか、を見極めるのに時間がかかることがあると、私も思う。
自分の本音を知るのには、すぐにわかる場合と、そうでない場合がある。
また、人によってもすぐにわかる人と、時間がかかる人もいる。

私もかなり時間がかかる人で、スクールを開こうと思った時も、不安が大きくて、個人事業主をしている友人に相談したり、母親が個人事業主だったので聞いてみたりしても、尚まだ迷っていた。すると段々とスクールのことを考えると、さーっと光が差しているように感じる日々が続いた。それに気がついたのも、悩んでいたからだが、背中を押されたような気がして、「事業資金として準備したお金がなくなったら辞めて、会社員に戻る」と、リスクヘッジをして、スクールをオープンした。

結局27年間も続いた。
最初の1年間とコロナの1年間だけ赤字、あとは黒字という結果だった。

この経験があるから、無理に決めなくても、決まる時は決まると思っている。
そして、決して無理してやらないと決めている。挑戦できなかったのではなく、挑戦しない方が良かったこともある。ただ、頭に浮かんだ、興味を持ったということは、お試しだけでもやってみていいと思うし、それで嫌ならやめたらいい。

この「やめる」ということに、悪いイメージを持っている人は多い。
嫌なことでも、大変なことでも続けることが素晴らしい、みたいな。

私も以前はそうだったが、それを「やめた」
心が、もう嫌だと言ってるなら、堂々と、それも早くやめた方がいい。
私も間も無く一つのことをやめる予定だ。結果的には7ヶ月しか続いていない。
(本当は4ヶ月でやめたかったが、相手の意向を汲んで3ヶ月伸ばしただけだ)
これをやめることでできる時間的余裕と、精神的自由を使って別のことをやりたいと思っているので、少々の罪悪感もあったが、今では「こういう流れだったんだ」と思っている。

どんなことにも、良い悪いを決めるのは、人間であって、物事に良い悪いのラベルが張ってるわけではない。だからこそ、自分の捉え方を変えていけば、自分の決めたことにはちゃんと意味があって、それをもし失敗だと思うのなら、次に失敗しないように活かせばいい。そのための勉強だったんだ、と思えばいい。

心の声に従う。
物事に善悪はない。ただ、出来事があるだけ。

この二つの言葉はよく聞いていたが、ようやくその意味がわかってきたような気がしている。

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Hiromi.U
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