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背中を思い切り蹴飛ばされるほどの衝撃を受けた日


ここ最近でこれほど衝撃を受けたのは久しぶりだった。
私がこの衝撃を忘れないために書こう。

音楽に興味がない人は、つまらないと思うので、この先を読むのはおすすめ
しません。

2023年1月29日

シーナ&ロケッツの鮎川 誠さんが亡くなった。

74歳だった。

その1ヶ月後に下北沢で行われた「鮎川 誠ロック葬」に私はタイミングよく
参列することができた。



会葬御礼は大事に取っている。

シーナ&ロケッツというバンドを知らない人もいると思うが、鮎川さんは福岡県
久留米市出身。
奥様のシーナさんは北九州市若松区出身なので、福岡出身で一時は音楽(ロック)の道を目指していた私は、昔から知っていたバンドの一つだ。

福岡のロックを総称して、「めんたいロック」。
そう呼ばれたバンドの草分け的存在だ。

シーナ&ロケッツのボーカルで鮎川さんの奥様のシーナさんは2015年に亡くなっている。

鮎川さんは、2022年の5月に、余命宣告をされていたらしいが、ギリギリまで
ステージに立ち続けた。

3人のお嬢さんたちは、ステージに立たずに、療養して欲しいと説得したらしいが、「俺の生きがいを奪わんでくれ」と、逆にお嬢さんたちが説得された。

奥様のシーナさんが、ライブを続けることで喜ぶという事と、ライブステージに
立つと、シーナさんに会えると言っていたらしい。

2022年10月に、シーナさんの故郷である、北九州市若松にある高塔山で、シーナさんが発起人となって始まったと言う、高塔山ロックフェスに私は参戦した。


2022年10月のライブステージ この頃はすでに告知されていたらしい


シーナ&ロケッツはトリを務めた。
既にシーナさんは亡くなっていたが、シーナさんの代わりは、三女のルーシー 
ミラーが務めた。
鮎川さんのステージもギターも、とても余命宣告を受けた人とは思えない
演奏だった。
この時点では病気については公表されておらず、ご家族だけが知ってたらしい。

実はこのシーナ&ロケッツの演奏中に、ステージのライトが全て落ち、真っ暗に
なった。
それでもシーナ&ロケッツの演奏は止まる事なく、何事もなかったように曲は鳴り続けた。
真っ暗な暗闇の中でもそのギターテクニックは一向に影響は受けなかった。
やがて観客がスマホのライトをステージに向け始めた。
せめてもの助けになれば、と自然発生的行動だった。
私もあわててスマホのライトをつけた。

泣きそうだった。

その3ヶ月後鮎川さんは亡くなった。


そして今日、ドキュメンタリー映画「シーナ&ロケッツ 鮎川 誠 ロックと家族の絆」を、福岡中洲の太陽劇場で観てきた。
太陽劇場は、福岡市で最後の単館劇場であり、今年三月で閉館となる。
建物の老朽化と言われているが、今後の再開の見込みはない。



映画館のポスター

映画では何度も泣いたし、周囲からも鼻をすする音、すすり泣きも聞こえた。
決して満員ではなかったが、映画終了時には、自然と拍手が起こった。私も力の
限り拍手した。

映画のナレーションは福岡出身の「孤独のグルメ」で有名な松重 豊さんが務め、憧れていたシーナ&ロケッツについても多く話をしている。
松重さんは、鮎川さんファミリーが下北沢に住んでるという理由で、上京後は
下北沢に住み、共にラーメン屋でアルバイトをしていたという、
ザ・クロマニヨンズの甲元 ヒロトさんも鮎川さんとの出会いから、その死に
ついてまで、伝説のような話しをしている。

なぜこの映画が泣けるのか?

それは、音楽、いやロックへの愛と情熱だと思う。
その縦糸と、家族や友達、ファン、いや関わる人全てへの愛、夫婦愛、家族愛が
横糸となってる、素晴らしい作品だった。
もう一度見に行きたいと思ってるくらいだ。

そして、鮎川さんのギターは、最高で、かっこいい!!
その姿形がかっこいいし、またシーナさんと並ぶとさらにかっこいい!!
お子さんたちは、自慢のご両親だったようだ。

デビューまで一定の時間がかかり、シーナさんは出産後、ご両親から
背中を押され、ご両親に双子のお子さんを預け、鮎川さんと上京。
そして、「私歌いたい」と言い出し、全くの素人だったのに、音楽は
たくさん聞いていた素質があって、見事にボーカルを務めるようになる。

そして、ライブに、あのYMOの高橋 幸宏さんがきてくれたことが、
きっかけで、細野 晴臣さんへとつながり、細野 晴臣プロデユースの
「ユー メイ ドリーム」が大ヒット。一躍、ロックスターとなるのだ。

私がなぜ衝撃を受けたのか?

私が背中を蹴っ飛ばされたように感じたのは、私がロックの道を断念し、ある意味
「不自由な世界」へ足を踏み入れ、そこから抜け出すのに時間がかかったことを、思い知ったからだ。
勿論それが人生だったのだと思う。

しかし、この映画を、今このタイミングで見たことで、鮎川さんが東京に進出し、「自分たちの音楽を聞いて欲しい」と思った、その気持ちが、ズーンと響いて、
「カッコつけて生きてんじゃないよ!ガンガン行けよ!」と自分に言っていた。
そう、好きなものは好き。ガンガン行こう。
熱く生きていく、と決めた。

大人ぶって生きるのもやめた。
賢くなくていい。

それが、生きるってことだと思ったから。
生きてる、と感じながら生きていたいから。

「音楽で生活ができているなんて、夢のようだ」と映画の最後に鮎川さんがいう
言葉がある。
さらに、甲本ヒロトさんが「鮎川さんとシーナがいなくなったことは、大したことじゃない。「いた」ということがすごいんだ」

という言葉があった。

最後の最後まで、しびれっぱなしの映画だった。


興味を持った方は、福岡への旅行を計画して、ついでに太陽劇場で、この映画を
みてください。
熱い、温かい、なんとも言えない気持ちになることは、間違いありません。

帰り道も、そして今もシーナ&ロケッツの音楽を聴きながら、このnoteを書き上げました。
いやー、よかった!!

この映画は、福岡のTBS系列のRKBが制作していて、監督であるRKBの方が
舞台挨拶をされました。
「宣伝してください!」と言われたので、写真も掲載しておきます。
いえ、言われなくても、宣伝したいです。
そんなことを思わせてくれた映画でした。

さらに、この監督が教えてくれました。
明日、1月29日、鮎川さんの一周忌に、お嬢さんたち3人が、
公式YouTubeで、「ライブ」を行うそうです。
アーカイブも残さないとか・・・
20時からだそうです。
URLも貼っておきます!

https://www.youtube.com/@SHEENATHEROKKETS

ガンガンいくよー!!


この映画の監督です。


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Hiromi  U.
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