人が一番成長する時
昔から思っていたことがある。
それは、「人は困難や悩みにぶつかったとき、1番成長するよな」と言うこと。
毎日の生活が安定していて、いわゆる「幸せ」な時って、人はほとんど何も考えない。人生においての「凪」の時期は、穏やかで静かだからこそ、ずっとこの平穏が続けばいいと思って、「波」を立てない。それはある意味幸せなことだけど、おそらく40代以降の人ならば、「人生、凪ばかりじゃないよね」と言うことを、体感しているはずだ。
ずっと平穏を望んでいるのに、身内が亡くなったり、職を失ったり、パンデミックが起きたり、挑戦したことがうまくいかなかったり・・・これは全て私自身のことだが、おそらくほとんどの人が経験していることでもあると思う。
そう、人生はずっと「凪」のままではいられないのだ。海と全く同じだ。
波があるから、サーファーはサーフィンができる。
波があるから、海は綺麗な状態を保てる。
波があるから、満ち引きがある。それによって自然界は保たれている。
それなのに、人生の波がやってくると、人間は慌てるし、憔悴する。
しかし、やがてそこから立ち上がる。立ち上がるのは、未来を信じているからだ。そして、立ち上がる時に一番考えるし、情報を集めるし、勉強するし、原点に戻る。自分と向き合い、本当はどうしたいのか、を考え、決定していく。
ここまできたら、あとはやるだけ。今、この自分と向き合う時期に来ている。
小さな波だけど、だからこそ本を読み、情報を集め、できることをやって、試している。「ああ、また一つ成長するな」と思う。
平穏な時には読まない本や情報を集めているから。何一つ無駄にはならないから。私は、人は自分を最後まで見捨てないものだと思っている。どんな状況でも、例え一時的に自暴自棄になったとしても、生きるために食事をするし、水を飲む。
つまり、生きるということを前提に人は創造されているのだと思う。楽観的すぎる、という人がいるかもしれないが、私はここに書いたことがあるように、幼い息子を亡くした経験もあるし、それ以外にも書けないような苦労をしたことがあるので、
あの頃を思い出せば、どうでもいいや、と思う気持ちはわかる。
例えそれを乗り越えても、生きている限り、いや、成長している限り、壁はやってくる。
一メートルの壁を越えたら、次は一メートルは簡単に越えられる。つまり成長したのだ。
しかし、次に二メートルの壁がやってくる。成長していなければ、まだ一メートルの壁を越えることで精一杯だったのに、成長したから二メートルの壁がやってくる。
それも全て自分が望んだことなのだろう。成長を望まなければ、壁もないし、乗り越える必要もない。それでも、人生の波はやってくるけど。
ただ、立ち直る時に周囲の人の力は大きい。そばにいる人のたった一言で、泣いていた人が笑えるように、人は誰かに支えられている。そのことに感謝しながら、また前を向いて歩いていこう。その歩く足の下には、誰の足跡もない、自分が歩いていく新しい、まっさらなカーペットがどこまでも続いている。
そして、そのカーペットは、レッドカーペットだ。
別にハリウッドスターでなくても、世の中に一人しかいない自分の人生のカーペットは、いつだってレッドカーペットだ。主演は自分。
そう思って今日も、自分ができることとやりたいことの真ん中を歩き続けていくと決めた。
まずは、お盆休みが終わったジムへ久しぶりに行くことから始めよう。体が妙に重いから・・・。