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自由に生きられることのメリット
いつの間にか「自由に生きる」ということを、無意識のうちに人生のテーマにしていた。このnoteを書き始めたのは、自分の生き方を見つめ直すためだったのかもしれない、と少し前に気づいた。
自由に生きることを意識し始めてから、どんどん自由になっていった。
「願えば叶う」と言うことらしい。
人は自分が本当は何を求めているのか、どんな生き方を探しているのか、案外知らずに生きている。私もそのうちの一人だった。
2年前まで約20年以上高校生の「進路指導」というテーマで講演を続けていた。
多い時には、月に10日以上、年間にすると100回近くに及んでいた。
今考えれば、時代が安定していたからこそ偉そうに「進路講話」ができたのだと思う。
こんなに時代が変化をし続けていると、世の中も変化するし、私自身も変化している最中に若い人たちに「これからはこうするといいよ」とは言えなかったかもしれない。
ただ、決して彼らの生き方を固定し強要していたわけではない。私自身が人から何かを強要されることを、たとえ親であっても、すごく嫌がっていたから、人にも強要はしたくなかった。
選択するのはあくまでもその人自身であり、高校生一人一人であり、私の役割は今の世の中がどんなものなのか、社会とはどんなものなのか、を伝えることが仕事だと思っていた。
ただ、若い時というのは、植物で言う「新芽」の時なので、ちょっとした雨風ですぐに折れてしまう。その一方で若さのいいところもたくさんある。
若さは、一瞬でなくなっていく。だからこそ、若さを持っている時には気づかないが、若さがなくなってしまってから、その素晴らしさに気づく。だからこそ、彼らに若さのいいところを伝えてきた。
私が伝えていた若さのいいところとは、1 体力がある 2 記憶力がいい 3 年齢制限の壁がない
と言うことだった。
どんなに無理をしても大丈夫なだけの体力があり、覚えたことは忘れない、つまりは若いからまだ脳のキャパシテイが広いのだと思う。そして、若すぎると言うことはほとんどなく、どんな仕事でも、どんなチャンスにもトライできる年齢だ。
若さを持っている時には、「これが当たり前」と思っているが、決してそうではないことは、多くの人が納得するだろう。
高校生たちは「そうか、自分たちは今若いと言うだけで大きなチャンスを手にしているんだ」と「自覚」して、それからの人生選択をし、強く生きていってほしいと願っていた。
ただ、若さをなくした大人にも、若い時にはないいいところがある。
1 自立している 2 自由がある 3 好きな勉強だけができる
だ。
もちろんこれには、反論もあるだろう。全ての人がそうではない、という反論だ。
確かに全ての人が自立しているわけではないが、自立しようと思えばできる。高校生たちはまず「未成年」であるということで、制限を受ける。親の保護のもとにあることからは、大人たちは解放されているのだから。
さらに、「自由じゃないよ」と思った人もいるかもしれない。いろんな理由で不自由さを感じている人たちもいるだろう。しかし、「自由になれる可能性」が高いのは大人だ。
1の自立をすることによって、ある程度の自由が手に入る。経済的自立をすると、半分の自由が手に入り、精神的自由を手に入れると、もう半分の自由が手に入る。
精神的自由の方が案外難しく、私もずっとこれができていなかったことに、コロナ禍で気づいた。気づいても手放すことに時間がかかった。
モノ、人、思考の断捨離が完了した時、ようやく自由になった気がした。
中でも、自由になってよかったと思うのは、「好きな人とだけ一緒にいられる自由」を得たことだ。好きでもない、または一緒にいても苦痛でしかない、さらに意地悪をされる人たちと一緒にいる必要がなくなったことが、私にとって一番の幸せかもしれない。
新しい人たちとの出会いは続いているが、その人たちとも今後付き合っていくのかどうかは、私自身が決められる。そのことが、本当にありがたい。
新しい人たちとの出会いは、間違いなく世界を広げてくれ、刺激をくれる。新しい価値観を知り、その世界を垣間見ることができる。真似することもできる。しかし、自分の価値観を押し付けてきたり、何も知らないのにお説教じみたことをする人たちとは、距離をおく自由もある。
(いるんです。こんな人たち。私がこの年齢になっても、です)
嫌な人と距離を置く方法としては、1 さりげなく嘘をつく 2 忙しいフリをする 3 グループから離れる ことだと思っている。
関わりを持たない、と言うことを徹底していればやがてその関係は消滅していく。
同じ空間にいないことと、時間の経過を利用するやり方だ。
この3つは、職場でも通用することもあるかもしれない。
先日、人間関係で悩んでいた友人が、この3つ全てを実践して、嫌で仕方がなかった人との関係消滅に成功したと聞いた。
喧嘩をしなくても、戦わなくても、嫌なムードにならなくても、「嫌だと思っている自分の気持ちを最優先にする」ことさえできれば、嫌な人との接触は消滅または最小限にできる。それをわがままだと言う人は、我慢をしている人のことを考えることができない、思いやりに欠けた人なのだと思うようにしている。
それでなくても社会は生きにくい。今の日本は尚更だ。
だからこそ、個人が自由を手に入れる必要があると思っている。自分のテリトリーを確保し、守る。自分の幸せのために、健康のために。
「親しき仲にも礼儀あり」を守ってくれる人とだけ付き合っていくことができるようになったのが、自由に生きる大きなメリットだと思っている。
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