新幹線から普通列車に乗り換えるように
若い頃からずっとずっと走り続けてきた。
それはその時必要だと思っていたし否定するつもりはない。
ただ、走ることで見損なった景色、感じられなかった香りや感覚があったはずだ。
久しぶりに訪れた美術館のテイールームは、平日だからか、高台から市街を眺め下ろせる席が空いていた。
隣には中年夫婦がずっと何かを小声で話している。
反対側では、席を一つ空けて若い男性がスケッチブックを持って、眺める景色を描いているようだ。
そしてわたしは、紅茶とテイラミスを堪能したあと、水色と薄いグレーの空をぼーっと眺めている。
こんな時だ。
多分見落とした感覚があると感じるのは。
走らないといけないと思ってきたが、多分走る必要はなくて、ちゃんと最終的に目的地に到達していたはずなのだ。
新幹線は確かに速いけど、普通列車でも到着できるのだから。
高速バスでなくても、路線バスでも目的地に着くのだから。
それよりも新幹線で見えなかった景色を見る経験の方が、人生を豊かにしたのではないかと思うのだ。
わたしがもう若くないからこんなことを思うのかもしれない。
表現する側に回ろうとしているから、一つ一つの風景も人物も目に焼き付けておきたいと思うのかもしれない。
理由なんてどうでもいい。
今感じたことをすぐに実行しよう。
今日の雲は、時速何キロくらいか、空はどんな色か、良く見よう。
ミニチュアの街のように見える風景を。
時々車が走り
煙突から煙が上がるのを。
今日の雲は中位の重さで、多分時速5キロくらい切れ切れの雲が息を
合わせたように少しづつ右手に流れるのを。
じーっとみていると、まるで私の方が少しづつ時速5キロで流れているように
感じる。
そんな感覚をずっと感じることなく、走ってきたんだね。わたし。
走って走って走り続けた。
それは否定しないし、必要なことだったけど、
もっとゆっくり周りを見る時間があって良かったんじゃない?
新幹線じゃなく普通列車に乗るように。
高速バスじゃなく路線バスに乗るように。
古くてブドウの出来が良かった年のワインが貴重なように、質が良くて時間をかけたものに、人は価値を見出す。
効率だけでなく、時間をかけて熟成させる生き方があってもいい。
これからは、新幹線から普通列車に乗り換えよう。
そして車窓からの景色を眺めよう。
何より私自身が、1日を丁寧に生きていきたいから、これからはすっ飛ばして生きていくのは、やめよう。