私はこうして、感情の切り離し方を見つけた
感情に振り回されてしまうと、普段うまくいっていることもうまくいかなくなる、という経験をした人は多いのではないだろうか。
いつもは、失敗もせずにできている仕事が、そこに一人の怖い先輩がいたり、
大きな声を出すお客様がいたら、普段しないミスを連発してしまう。
私にもそんな経験がある。
客室乗務員新人時代だ。
私が新人の頃は、先輩方も大変厳しく、実際に毎日のように、また全ての仕事に対して怒られるのが普通だった。
毎回初めて一緒に仕事をする人たちも多く、怒られ方にもかなりの差があった。
優しく教えてくれる人
とても厳しいひと言をずばっと言う人
言い方は優しいけど、核心をついたことを言う人
仕事の前から、厳しい態度の人
など、本当にさまざまだった。
そして先輩が怖い人だと、いつもできている仕事ができなくなる。
つまり「萎縮している自分」に気づいた。
そんな自分は当然嫌だ。
さらに、私がミスをすることで一番迷惑なのは、「お客様」だ。
お金をいただいているお客様に迷惑をかけることはできない。
そう思い私は、「萎縮しないため」に次のように考えた。
「先輩の性格や注意の仕方は変えられない。怖い人は、怖いままだ。
だけど、私が仕事ができれば怒られることはない。だったら、言い方は無視して、言われたことだけに注目し、それを明日までにはできるようにすればいい」
と。
これが、今考えたら、「感情を切り離すこと」に成功した瞬間だった。
ひどい怒られた方をすると、当然人は落ち込み、次のように考える。
「あんなに言わなくても」
「もっと違う言い方があるじゃない」
「私はダメな人間だ
「私はこの仕事が向いていないのかもしれない」
実は、これらは全て「感情が言わせている言葉」だ。
抵抗しているし、一部自己否定している。全くその必要はないのに、だ。
ただ、先輩が言ったことは仕事上の注意だけ。
「あなただいたいガサツなのよ」
これが、私が先輩に言われて一番ショックを受けた言葉だが、感情を切り離せないと、
「私はどうせガサツですよ」
「向いていないんですよ」
「あんな言い方するなんて、なんてひどい人だ」
と思ってしまう。
でもこれは、
「物事の本質をすり替えている」
なぜなら「ガサツ」とこの先輩が思った具体的事例は教えてもらっていたからだ。
「立っている時にかかとは開いているし、お客様に物を渡す時にも指は揃っていない」と。
そしてそれは事実だった。
だったら、「ガサツと言われた」ことは正しいので、その言われ方に注目するのではなく、「私がガサツだと思われないようにすればいい」
と考える。
「どのように言われたか、ではなく、何を言われたのか、に注目する」
ようにした。
すぐに私は、先輩方の優雅な動作を見て、一つ一つ真似をした。
すると、「ガサツ」とは言われなくなった。
問題解決だ。
もちろん、「ガサツ」と言われたことは、今でも忘れていないが、今はここまでずばっと言ってくださらなければ、私はずっと気づかなかっただろうし、本気で改善しようと思わなかったと思う。
そしてそのおかげで私はマナーの先生もできたのだろう。
だから、この方には感謝している。
(ただ、今の時代ならこんなことは言えないだろうが···)
(言われなければわからないので、本当は別の言い方でも言ったほうが良いとは思う)
ネガテイブな感情になった時ほど、問題の本質に目を向けて、感情を切り離す。
それができたら、成長は無限大だし、感情に振り回されることもなくなり、冷静な判断や仕事ができる。
この新人時代に、感情の切り離しができるようになって、本当に良かったと思っている。
ここで思い出すのは、よく言われる次の言葉だ。
間違いない。