魔法が解けた
これは、あくまでも私が感じたことなので、興味がない方はスルーしてください。
最近立て続けに、自分が見ていた世界が違って見える、という記事を書いた。
世界が全く違って見えた日①
世界が全く違って見えた日②
https://note.com/uenohiromi03/n/nd38dee8d18dc
さらに、今回日本の最西端の島に4日間いたことで、今まで自分がかけられていた魔法に気づいた。
旅が終わり、今まで見慣れていた景色を見た時、全く違って見えていることに、唖然とした。
お金を中心にした人生選択も
見栄のための消費活動も
不安をあおって宣伝広告する媒体も
SNSで自分を大きく見せている人たちも
上からの物言いをする人たちも
全ては、「誰かがかけた魔法だったんだ」と思ったし、悪く言えば「化けの皮が剥がれたように」見えた。
日本最西端の島にない店が、都会にはある。
*花屋(自宅の庭や、その辺にたくさん咲いているから)
*美容院(これはあったほうがいい、と島の人も言っていた。時折出張で
いけば、美容師さんの仕事はあるようです)
*本屋(ネットで注文しているのだろうか。電子書籍の可能性もある)
100均(本島に行った時に買いだめをしているのではないか、と思う)
*ドラッグストア
*家具屋
不動産屋(あっても、店舗を構えず、口コミ、知り合いに相談すればなんとかなるようだ)
歯のホワイトニングの店
美容整形外科
おしゃれなカフェ
アパレル店
など、キリがない。
*印は生活に本来必要な店だが、それさえも、いろんな事情で島にはない、ということは、地元の人に話を聞いてわかったが、それ以外の業種の共通点は「見栄を張るためにある」ものが多い。
つまり、島の生活では全く必要がないものが、都会に住むことで必要になる。
なぜなら、「自分を少しでもよく見せたいから」だ。
さらに、都会では多くの人と関わるため、競争があらゆるところで発生する。
その競争に勝つために、自分の立場が一瞬でも上に立ったような気分になるために、見栄を張る必要がある。
SNSのフォロワー数や、注目されることが、お金につながったり、人から憧れられる存在になることを知っている都会の人たちは、注目されることを目指す。
それがお金につながることもあるからだろう。
ビジネスだけではなく、個人の欲求を満たすために、コンサルや、SNS代行などの仕事もある。
これらの仕組みがわかった時、
「ああ、本当は必要なかったんだ」と思い当たったものがあった。
たくさんの洋服や靴。
化粧品。
アクセサリーやバッグ。
もちろん欲しいものを買うのは問題ないのだけど、必要以上に持つ必要はなかったな、そしてあれらの買い物は、自分の中の何かを埋めるために買っていたんだな、とわかった。
さらにわかったことは、都会の生活のほうがお金が必要になる仕組みがある、ということだ。
だから都会に住む人は、お金のために自分の人生設計をする。
下手をすれば幼稚園から、お金を第一に考えて人生設計を、親がしてしまう。
自分が嫌なことも我慢して、やりたくないこともやって、自分で意思決定できる、数少ない人生の決定権を、お金に預けてしまう。
それが正しい選択だと、周囲に繰り返し言われて、育っていき、
やがてそれが「常識」「普通」「当たり前」となる。
そして嫌なことを我慢し続けた結果、精神的に病んでしまった人たちは、圧倒的に都会のほうが多いはずだ。
島を離れる最終日の朝、ビーチで朝陽が上るのを見ていた時、この透明な海と、この太陽を見ていたら、自分の悩みなんてすーっと消えてしまう、とつくづく感じた。それほど、美しい景色だった。
これを、この島の人たちは毎日見ることができるのだ。
当たり前すぎて気づいていないかもしれないが、おそらく体は敏感に感じ取っているだろうと思った。
こうして一つ一つ魔法が解けていくにつれ、もう一つ思い当たったことがある。
週末のカフェがどこも満員なのを見て、「周囲の人と同じであること」で安心を得ていた時期があったことを。
自分をみんなと同じ、「普通」と言われる枠に、自分を無理やり嵌め込もうとしたことがあったことを。
当然それはうまくいかなかったが、その原因ははっきりとわかっていなかった。
しかし、今回「魔法が解けた」ことで、入らない洋服を無理やり着ようとしていたかのように生きていたことが原因だった、とわかった。
「今までとは世界が違って見えている」と感じてはいたが、ついに最後の魔法を解くためにこの旅に出たような気がしている。
与那国島に行って、本当に良かった。