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年齢と人目を忘れて生きる


同年代の知り合いの人と会った際、「新しいことを始める際、年齢とか人目が気になるのよね」と言っていて、「ああ、気持ちはわかるな」と思った。
若い時にはあらゆることに挑戦していいけど、歳をとるとおとなしくしていないといけない、と考えてしまうのは、「年甲斐もない」という言葉のせいかもしれない。

年甲斐もないことをして、みっともない、という言葉を一度や二度は聞いたことがあるかもしれないが、のこの言葉には「年齢」と「人目」の二つを気にして生きなさい、という意味が込められている気がする。
でも、そんなことをして何になるんだろう。

年齢によって人を区別するのは、年齢なんて個人差があることを全く無視しているし、人目なんて、自分の周りにいるたった数人の人たちの視線であり、個人が好きに選んで良いはずの生き方に、その数人の人たちをわざわざ介入させる必要はないのに。

周囲の人に自由に生き生きと生きることを妨害する風潮は、案外多い。
母が洋服屋を長年やっていたが、そこにやって来るお客さんたちも「年相応」の服を求め、赤い服や、少しでも派手な服は「もう年だから」と言って買わないのをたびたび見てきた。すごく似合っているのに、ちょっと今までの自分と違う自分を簡単に手に入れられるのに、だ。

年齢は、体の健康と脳と心の状態っd判断すればいいと私は思っている。
それも、人に判断させるのではなく、自分で判断する。
今までと同じように、ちゃんと動けるなら問題なし。
記憶力にも問題がなく、新しいことをやってみたい、と思う心を持っていたら、その人は十分に若い。
新しいことをやってみたいという心と、十分に動く体、そして行動する際に必要な脳があれば、誰の許可も必要なくなんでもやってみればいいはずだ。

私が仕事を辞めて、小説を書くと決めた時、母は「もう年なんだから」と言って反対した。
そもそも母親に迷惑をかけるわけでもないのに、私の生き方をとやかく言われたくない。
ましてや、体力も脳力にも問題がなく、残りの人生を挑戦したかったことに挑戦しようとしている人を、止める権利なんて誰にもない。大きなお世話だと思ったし、そのようなことを言った気がする。
それ以降、何も言わせないようにしているが(笑)自分の人生は自分で決めるものだし、自分にしかわからないものなのだ。たとえ何歳になっても、だ。もちろん体が自由にならなくなったり、認知症になってしまったら、挑戦できることは減ってしまうかもしれない。

でも、あなたが健康で、体も十分に動き、脳にも問題がないのであれば、年齢も人目も気にせず、やりたいことをやればいい。人目なんて無責任で、年齢なんて忘れていても何も問題はないのだから。
海外に行けば、日本人は若くみられることが多い。
誰も年齢を聞くなんて失礼なことはしないし、人の年齢なんて気にしていない。
自分のことに集中しているからだ。

そう、誰でも自分のことに集中していたら人のことなんて気にならない。
もし、同年代の人が新しいことに挑戦しようとしているのが羨ましいなら、自分もやればいい。
たとえ周囲の人になんと言われても。
若い時にもやりたいことを反対され、年をとっても人目を気にして挑戦しないまま人生を終わるのだとしたら、なんのために生まれてきたのかわからない。
やりたいことリストは、どんどん消していく人生が、私は好きだ。
私の人生は、私のものだと思うから。


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Hiromi.U
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