ゆるゆる、あまあま
最近の私を、5年前の私が見たら、多分こういうだろう。
「ゆるゆる、あまあまだね」と。
最近は、一日のうち最低限必要なことをやったら、それ以外はほぼ自分のやりたいことしかやっていないからだ。
ゆるゆる、とは、とてもゆるいスケジュールで動いているということ。
毎日のやることリストを書いているノートがあるのだが、そこに書いているリストを全消し
することはほとんどない。
5年前の私なら、「なんでそんなにいい加減なの」と言うだろう。
さらに昨日も、「こんなにいいお天気なんだから」と思い立ち、フラッと遊びに出かけた。
お腹が空いたら、大好きなうなぎを食べ、行きたいと思っていたカフェに行った。
そこではイヤホンを耳に突っ込み、本を読み、小説を書く。
とっぷりと日が暮れるまで過ごすと、今度はアパレルショップに立ち寄り、目に入った服を試着。
それもミニスカート。
まあ、お姉さんたちは「お似合いです」と言うのは当然だが、自分でも案外似合っていると思った。さらに冬服なのに20%オフになるという。
買おうか、と思ったが、何せ「ものを増やしたくない」という気持ちがむくむくと湧いてきて断念。
その時の私の服装は、黒スキニーデニムに、ワークブーツ。黒ニットの上に、お気に入りのベージュの変わった形のカーデイガンにお気に入りの大型バッグ。
5年前の私が持っていたのは、黒ニットだけ。
この外出で、友人、知人に会うことも考えたが、やっぱり一人がいい、と思い誰にも声をかけずひとりで過ごした。
これらは全て自分の心の要求に従った結果だ。あまあま、とは、甘々、と言うことで、つまり自分が欲したことを忠実に、次々とやっていくことを指している。
全然褒められることではないのだが、実はこうして予定も決めず、心の赴くままに行動をすると、いいことがある。
それは、この時見た景色、光景、周囲の様子、見かけた人々のことをとてもよく覚えているということだ。小説のワンシーンとして使えそうな場面が、次々に私の脳内に記憶されていく。
呼吸が浅くなっている自分に気づき、深く深呼吸をした際の空気の匂いさえも、だ。
匂い、と言えば、海外に行くといつも思うことがある。
それは、日本は無臭の国だな、ということ。海外では、それぞれの国によって匂いが違う。
スペインのマドリードは、街中を歩くと食べ物の匂いがした。それは時に、食べ物が放置されたような匂いにもなるのだが、日本とは違うな、と思った。
インドネシアのバリ島では、排気ガスの匂いがした。夥しい数のバイクと車が発する排気ガスは、暑さと相まって旅人たちに街中を歩くという楽しみを。拒んでいる気がした。
先日行った、ベトナム・ダナンのホテルとビーチは無臭だった。東南アジアのビーチには、いろんな商売をしている人たちがいるものだが、ダナンにはパラソルを貸す人も、サーフボードを貸す人も、全くいなくて静かだった。ああ、もう一度行きたい。
おそらく人生のうちで、こんなに自分を「ゆるゆる、あまあま」にしているのは、初めてのことだ。5年前の自分なら、「もっとちゃんとしなさいよ」と自分に言うだろうが、この方が全然いい。
そして、全てを小説を書く、と言うことだけを軸にして生きていく。
そんなゆるゆる、あまあまの日々を過ごすのは、初めはどこかに罪悪感があった。
しかし、その罪悪感も手放し、こんな生き方のほうが好き、と言っている自分がいる。5年前の私とは別人だ。
そして今日もゆるゆる、あまあまの日々を過ごしていくのだろう。