自由に生きればいい
「~すればいい」シリーズが好評だったので、再登場させてみた笑
「自由」が嫌いな人っているんだろうか?
・毎日目覚まし時計で起きるより、自分が目が覚めた時間に起きる。
・自分のスケジュールは、全て自分で決められる。
・自分の稼いだお金は全て自分で使える。(それが家族に使うことであっても)
・自分が好きな人とだけ付き合う。
・自分が好きな場所にいつでも行ける。
・自分が欲しいものがなんでも買える。
これらを自由というのではないか、と思っている。
つまり
・時間的自由
・金銭的自由
・精神的自由
が揃った人生を嫌がる人は、多分いないだろう。
ただ、ここから3つに分かれる。
①「そんな自由な生き方は不可能」と思っている人。
②「そんな自由に生きていいのだろうか」と罪悪感を持つ人。
③「そんな生き方をするには、どうしたらいいのか」を考える人。
私は以前①→②だった。
こんな自由な生き方をしている人がいることは、本、ネットで知っていた。
クリエイター
自分のビジネスを立ち上げている人
などが主だった。
親の遺産が十分にある人、もいるだろうが、本にはそんな人は出てこなかった。
ただ、最初は「自分にそれができるとは思えていない」ので、私は当然何も行動していない。
せいぜい自分が好きな仕事で、ある程度お給料をもらえる仕事を選んだ。
金銭的自由は少しあったが、時間的自由はないし、精神的自由はほぼない。
仕事を一緒にする人たちを選べないからだ。
やがて、転機がやってきてビジネスオーナーになった。
当初は全く金銭的自由がなくなったが、時間的自由と少しの精神的自由を手に入れた。
3つはなかなか揃わないけど、時間的自由っていいなと思った。
自分のスケジュールは自分で決められる喜びを知った。
だんだんと金銭的自由が手に入り始めると、時間的自由がなくなった。
精神的自由も50%くらい。
結局、精神的自由は、ずっと100%ではなかった。
また転機がやってきて、色々と整理して、
とうとう精神的自由を手に入れた。
すると、私の口癖が変化した。
「ああ、ありがたい」
「ああ、幸せ」
「ああ、こんな幸せな人生が待ってるなんて思ってなかった」
と。
もちろんある程度の金銭的自由があって、時間も自由に使えるからこそ、この言葉が出てくることは、自覚している。
じゃあ、私は何をやったのか?
①責任を下ろす
②嫌なことはやらない
③お金の勉強をして、生活コストを把握する
④自分が本当にやりたいことって何か、を見つける
多分人は、「責任」「お金」「常識」「不安」「世間体」のために、自分の自由を手放している。
ということは、これらを手放せば、自由は手に入る。
だから私は人間関係の整理をし、仕事をやめ、お金の勉強をし、自分を満たして、人のことなんて気にならなくなるようにしていった。
その時は無意識だったのだが、心が自由を欲していたようだ。
難しいか?と言われたら、
「タイミングが来た時にやってしまえば、思ったより簡単にできる」
と思った。
タイミングはある。
いくら自由が欲しいと思っていても、まだ自分の心の準備ができていなかったり、自分を十分に満たしていなかったりすると、なかなかタイミングは訪れない。
そのタイミングが来た時に、心の準備ができていたら一気に舵を切ることができる。
自由と言う方角へ。
自分が今自由な生き方ができていて幸せだから、もし自由な生き方に憧れる人に私がやっていることをシェアしたいと思っている。
近々定期購読マガジンを作成することを考えている。
実現するかどうかはわからないし、いつになるのかも
わからないが、頭の片隅にはある。
もちろん、人の生き方はそれぞれで、自分自身が心地よいのが一番なので、決して無理に勧めるわけではない。
まあ、もし希望する人がいたら・・・のお話。
私が書くことを仕事にしようと思って、2ヶ月が過ぎた。
小説を書き、公募に応募すると同時に、他にもできることがあるような気がしている。
生き方が売れる時代
このタイトルの記事を書いたが、これが私のエッセイ記事の中で、2番目に「スキ」が多かった記事になっている。
みんな「生き方」を模索しているのだと、この時思った。
もしよかったらご覧ください。
私の生き方も何かの参考になるようでしたら、今後やってみようと思います。