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みんな欲しがっているのに、難しいこと


お金を稼ぐことではないよ(笑)


誰もが絶対に求めている。


「自分を認めてもらうこと」を。

自分を認めてもらう、というのは称賛してもらうとか、大きな賞をもらうということじゃない。

「自分の考えを認めてもらうこと」だ。


たとえ、あなたの好みが人とは違っていても、
たとえ、あなたの考えが人と違っていても、
たとえ、あなたが人と違う生き方をしていても、
賛成してくれなくてもいいけど、
「そんな好みがあるんだね」
「そんな考え方があるんだね」
「そんな生き方があるんだね」

と、一言言ってほしいだけだ。

それなのに、この一言はなかなか得られない。

「それじゃダメだよ」

「やっぱり、人ってさ・・・」

「何歳になってもさ・・・」


と、多くの人たちは「一般論」や「持論」を押し付けてくる。

私の感覚では、90%がそうだな、と思う。

持論を押し付けられるくらいなら、「無関心」でいてくれる方がいい。

「人の違う部分を認めない傾向」とは「個性を認めないこと」であり、「その人を認めないこと」になる。

おそらくだが、持論を押し付ける人は「この人は世の中分かってないから、自分は親切で教えてあげてるんだよ」ということなのだろうけど、それはこちらがアドバイスや助言を求めている時にだけ、有効なのであって、求めていないのにそんな持論のアドバイスを言われても、「自分のそのままを認めてはくれないんだ」と思って、自分の心のシャッターが降りる音が聞こえる。

それ以降、もう自分のことを語るのはやめようと心に固く誓う。

もちろん若い時は社会のことを知らないし、経験不足で未熟だから、どんどん先輩たちに質問していたし、「こんなものなのよ」と持論を語られていたが、不快感はなかった。
むしろ教えてもらえてありがたいと思っていた。
今の若い人たちはどう感じるのかは、かなり個人差があると思っているが。

ただ、30を超えてある程度人生経験ができてきたら、もう今の自分は「個性」であり、その個性でちゃんと社会で生存できているのであれば、周りがとやかくいうことはない。
もし、本人が助言を求めていれば、「私はこう思うよ」「私はこうしてるよ」と、持論を押し付けず、ただ事実を語ればいい。
そんな人がいたら、いつでもその人は私を認めてくれる存在として、友人の一人に勝手に加えさせてもらうんだけど。
実際には、なかなかいない。

なぜ人は目の前の、ちょっと人と違う人のことを認めないのだろうか。

それはおそらく「自分が正しい」と信じているから。
これは、ある年齢になるとみんな勘違いをしてしまうのだと思う。
自分はこの考え方で生きてきたから、自分は正しい、と。

でも、世界は広い。

国が違えば、常識も法律も違うのに、ただ自分が生きてきた、知っている狭い世界の中で通用したことだけを以ってして、なぜ自分は正しい、と言えるのだろうか。
その自信から相手に持論を押し付けるなんて、ある意味暴力と同じだ、と思った。


もちろん私も相手を認めることが、完璧にできているとは思っていないが、持論を押し付けていないか、を常にアンテナを張って意識している。
「あなたはどう思うのですか」と聞くようにしている。
言いすぎたな、と思った時には「最後はあなたがどう思うのか、何を選択するのか考えてみてください」と、最後に添えるようにしている。
「あなたの人生だから」と。

人生や生き方において何が正しいかなんて、死ぬまで私は言えないと思っている。

その場所、その人によって正解は違うから。
正解さえないこともあるから。

「こんな大人にはなりたくない」というのを、まざまざと見せてもらったので、良い反面教師とさせてもらおう。

そして、私はいろんな考え方や人を「受け入れたり理解することはできなくても、認めることができる人でありたい」と強く思っている。


私には夢がある。

それは世界一周の旅に出ること。

世界中旅すれば、「いろんな考えと人に出会うだろう」と思ったら、本当にワクワクする。
まだ日程は決まっていないけど、そう遠くない将来に私は世界一周の旅に出る予感はある。

何より狭い世界の中、狭い価値観の中、狭い視野の中で死んでいきたくないから。
広い世界を見て、何歳になっても自分の視野を広げていたいから。

自分の視野を狭めるのは、結局自分なんだよね。


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