「良い子」をやめるススメ
あまり人に何かを勧めることはないのだけど、今日ふと「良い子でいる必要なんてないよな」と思ったので、書いてみよう。
私自身が決して「良い子」ではなかったので、まるで自分を褒めるようで申し訳ないが、良い子でなくて損をしたことは一度もない。
いわゆる「良い子」と言うのは、親や先生から見れば「自分達の言うことを聞く、おとなしい良い子」と言う意味であり、ある意味大人にとって都合の良い子供だ。
ただ、子供側も大人がどんな子供を望んでいるかを、中学生くらいになれば分かってくるので、「良い子を演じている」ことがある。
実は私もその一人だった。
高校生の頃は、席替えになるといつも自分で手を上げて希望し、先生の教卓の真前の席に座った。毎回毎回だ。
この席に座ると言うことは、一番前に座ると言うことであり、ほとんどの生徒は後ろの席を希望する。
だが、一番前に自分から希望して座る生徒は真面目に違いない、と先生たちが思うことをわかっていて、私はこの席を希望していた。
さらに、この席は私が下を向いていれば、何をしていても案外先生の視界には入らない。先生は後ろの方を見て話をするからだ。
まさに「灯台下暗し」
それを利用して、数学の授業の際には自分の受験科目である日本史を勉強するなど、好き勝手をやっていたが、一度もバレたことはない。
耳では一応授業は聞いているから。
さらに、高校時代は当たり前のようにパーマは禁止だったが、実は3年生の時に私はパーマをかけていた。
みんなには「ドライヤーで巻いている」と言っていたが、実は髪がはねるので、いちいちドライヤーで直していたら時間がかかるから、パーマかけたら?と母が私に提案したのだ。
もし、先生から「パーマかけていませんか」と聞かれたら、母親が「いいえ、巻いてるだけです」と言ってくれるのだからこんなに心強いものはない。
無駄なことをしないため、自分のやりたいことをやるために、良い子を演じた。
成績は一般受験予定だったから、ある程度の成績を維持しなければ合格できないため、上位を維持したことも、先生たちからは「良い子」だと思われていたのだろう。
そう、大人はちょろい。
そう思いながら、高校生活を送っていた。
それで損をしたのか?
全く、だ。
では、良い子だった人たちはどうか?
高校で就職した同級生もいたが、その子たちは確かに「良い子」だったと思うし、そのおかげか有名な会社に就職して行った。それは得したことだろう。
ただ、良い子でいることの最大の弊害は、「周りに左右されやすい」「自分で考えて自分で決めることが苦手」と言うことだ。
常に大人、自分よりも目上または決定権がある人の言うことに従おうとする。
だから自分では決定しない。間違いや失敗を極端に恐れる。
自分の意見がない人が多い。
だから結局人に振り回されていく。
自分の人生の主導権を自分で握りたいと思っていない人は、それでも良いと思うが、自分を幸せに出来るのは自分だけ、と思っている人には、自分で考え決定できないのは、かなり辛いはずだ。
良い子をやめると言うことは、自分で考え、自分で決断すると言うこと。
そのためには情報精査と意思を持つ必要がある。
もちろん、人の人生なので私ごときが「おすすめ」するような事ではないのだけど、自分の人生の主導権を持つことは、とても自由で楽しいことは伝えておきたい。
周りを気にせず、自分で楽しみを見つけることができ、それを理解し合える人達と付き合っていく。
年齢も関係ない。健康な体と脳があれば大丈夫。
死ぬ前日まで楽しいと思って生きられる方法なのではないか、と思って、2022年最後の記事として書いてみた。
余計なお世話だったら、ごめんなさい。
最後まで読んでくださった方、そして時々コメントを下さる方、毎回「スキ」をつけてくださる方、フォローしてくださっている方々全てにすごく感謝しております。
今年も大変お世話になりました。
来年も引き続き毎日毎日書いていく所存ですので、どうぞよろしくお願いいたします。
皆様にとって2023年が素晴らしい年でありますように、心から願っております。
どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。
上野 博美
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