日本の歴史(原始時代)
お疲れ様です。
前回は西洋の歴史と建築史をざっとまとめてみました。
今回は日本の歴史と建築史をまとめてみます。西洋の時は歴史と建築史を交互に扱ったのですが、今回は歴史は歴史で、建築史は建築史でまとめて振り返ろうと思います。歴史の流れを踏まえた上で建築がどう変わったかを見れたら面白いかな、と考えております。
日本の歴史は、原始時代(旧石器時代~弥生時代)、古代(大和時代~平安時代)、中世(鎌倉時代~安土桃山時代)、近世(江戸時代全般)、近代(明治~現代)と分かれているので各パート毎に扱っていきます。
今回の記事は、日本の始まり・原始時代を扱います。
・大陸とつながっていた「更新世」の日本
現在の様な日本列島は約1万年前の気候変動によって生み出されたと考えられています。それ以前はユーラシア大陸とひと続きとなっていたようです。
地質年代では、日本列島ができる前の時代を「更新世」(別名:旧石器時代、氷河時代)、それ以降の現代に至るまでを「完新世」と呼びます。(余談ですが、最近では人類が地球の地質や生態系に影響を及ぼした時期を「人新世」と呼ぶ動きがあります。)
旧石器時代は、乾燥・寒冷な気候でした。そこで人々は打製石器で獲物を捕らえる狩猟採取を主とした生活をしており、彼らは洞窟の中やテント状の小屋を作って暮らしていたと考えられていて、集落の後も発見されています。
・縄文時代
約1万年前に地球温暖化が進み日本列島が形成されるようになった頃、多様な食料が獲得出来るようになった為、縄文時代の人々は竪穴住居に住み定住的な生活を送っていました。その暮らしは狩猟採取の「獲得経済」が中心で自然環境に大きく影響されていた為、自然を畏れ敬う原初的な信仰アニミズムが生まれました。
・弥生時代
大陸の中国や朝鮮半島から米づくりの技術が伝わり、九州から西日本へと徐々に稲作が広がり水稲耕作を基礎とした、縄文時代とは全く異なる新しい文化が生まれました。経済は「獲得経済」から「生産経済」に移行し、貧富・身分の差が生じそこから権力者が現れ多くの小国が誕生していきました。
この時代に中国と交易があったことが分かっており、中国の歴史書に「邪馬台国」と「卑弥呼」についての記述が残っているようですが、詳しい場所も人物も不明で謎に包まれています。
・古墳時代
大和地方を中心とした畿内にヤマト政権が誕生したとされ、有力者の墓である前方後円墳が畿内を中心に各地で造られていきます。ヤマト政権の勢力は関東から九州まで及びました。また朝鮮半島にも勢力を伸ばし大陸の文化や技術も取り入れていきます。そして徐々に日本全土を統治していく地盤を固めていくのです。
・補足
少し話が反れますが、海面の高さについて少し補足で取り上げたいと思います。
氷河期の頃は海面の高さは今よりもずっと低く日本も大陸とひとつながりでしたが、温暖化が進み縄文時代の頃(約7000年前)は今よりも2〜3℃気温が高く、海の高さも今よりも3〜5メートルほど高かったと考えられているようです。その頃は日本の海岸線の地形も違っていて東京もほとんどが海に沈んでいたといえます。
この事実を知っておかないと歴史や文化の形成を上手く捉えられないのではないかと考え補足しました。なぜなら、日本は海に囲まれた国であり文化の交流や発展は海辺を通して発生することが多かったと思うからです。
まだまだ謎が多く残る日本の原始時代の歴史ですが、稲作が伝わり徐々に日本が統一され形成されていきます。次回の古代編もお楽しみ下さい。
最後まで読んで頂きありがとうございました。以下の資料を参考にさせて頂きました↓
一度読んだら絶対に忘れない日本史の教科書 公立高校教師YouTuberが書いた · 山崎 圭一