台風の朝に
目が覚めた。
随分とよく寝たような気がする。
時間を確認する。
9:50
あ、遅刻・・?
今日は休みだ。
台風で、電車も止まるらしい。
朝とは思えないほど、暗い。
そんなことを考えていたら、二度寝して
次に時計を見たときは11:40だった。
089*-から始まる電話が入っている。
地元の番号だ。
嫌な予感がした。
母が、最近調子が悪くてMRIを撮ると言っていたからだ。
何かあったのだろうか。
地元も台風なのか?
テレビはないから、そんなことも知らない。
かけ直しながら、電話番号を調べる。
やっぱり病院。
ただ、名乗っても、私宛てではないようだった。
起きてから、母に電話。
いつもと変わらない、元気そうな声。
ーー
「来年、カナダにワーホリに行く。」
と決めてから、
母にも話した。
お金のこと、会いづらくなること、
治安のこと、これからのこと、心配された。
わたしの両親は、もう60歳を超えているのだ。
ーー
最近の愛読書は
これを読んでいると、親って子供産んだから
なれるものじゃないなと思う。
まだまだ、重たすぎて、読み終えることはできない。
ーー
母親とは、関係が悪いわけではない。
ただ、わたしはどうやら父親に似ているらしい。
母親は、父親のことをわたしが小さい頃からとにかく悪く言っていた、し、
わたしも父親のことは好きではない、し、分かりあったり、話し合えない。
目に見えて何かひどい親だったという事実もないけれど
家族仲が良くて、両親が好き・尊敬している。という
まるで綺麗な、両親や家庭環境なんて疑問も持ってこなかったような人とは
どこか違和感を感じるような暮らしをしてきたから
死んでしまう前に、人としてもう少し知りたいと思っている。
ーー
海外に、なぜ行きたいと思ったか。
母親に話したら
「生きづらいんだね、やっぱりお父さんに似てるね」
「お父さんに似てるから、人のためじゃなくて、自分のために
何かやったほうがうまく行くんだろうね」って言われた。
わたしは、お父さんみたいだけど、人のために何かすることだって
それが「誰か」は大事だけど
やりがいだと思えるのですよ。
ーー わたしよ、どうか、これからの海外生活では
自分のために、好きなように、生きてみてください ーー
父は、自分の好きなことで生計を立てている。
小さなものづくりの会社だけれど、もう40年くらい。
それはほんとうに尊敬できることだと思う。
ただ、父は、あまりにも支配的で
家族なんて持たないほうがよかったような人だと思う。
ーー
今日、台風で
どこにも行けなくて
それも朝から地元の病院から電話があるなんていう
心臓に悪いできごとがあったから、
2月ぶりに父親に電話をした。
・年始は帰ろうと思う
・海外に行こうと思う
・元気だよ
そのくらいのことだけ、話した。
ーー
考えていることを理解してもらおうなんて
もしかしたら他人に求めることは無理なのかもしれない。
それが親であったとしても、理解されないことは
家庭でも学校でも、ふつうのこと、だった。
人と同じことをするのが、いつも苦手だった。
いじめられて、合わせることは覚えたけど
合わせて独りなら、一人でいるほうが心地よかった。
大人になってからも、あんまり変わってない。
ーー
母は、
自分が好きか嫌いかどうかも、あんまり気にしていないのだろうか。
仕事・家族は
誰の意思で選んでいるのだろう。
親になるなら、
自分も、相手も、
心から自分を幸せにできるひとになっていたいと思う。
少なくとも、結婚したこと・相手のこと・自分の現状。
それを、嘆いているような親には、なりたくないんだ。
ーー
私は、
自分が嫌いだから、今の現状をいつも悲観的に見てしまう。
「生きづらい」
って、思う。たくさん。
「楽しそう、でも不安」な、希望は生きづらさよりも溢れている。
その希望、可能性を、選ばずして
生きていることに満足できるのだろうか。
”行動力がすごい”と、言われてきたけど
自分で変えるしかなかったのだと思う。
独りだ。と思うと、一人になった時のように。
日本は、わたしを独りにするところだった。
わたしがわたしになってから、また遊びにきたいと思う。
ここでは、一人にも自分を好きにもなれそうにないから。
ルームシェアをしている外国人は
家族と友達と話す時と同じようなテンションで
かれこれ1時間電話している。
カナダに行ったら
たくさん英語を勉強する。
お金に困ったら
カフェ・ベビーシッターのバイトをして
フォトグラファーもしたいと思う。
生きていく方法なんて
無限にあると信じている。
諦めないから。