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【思考の補助線(茂木健一郎)】うえこーの書評#28
この本では「学問が無限に広がっているなかで,有限の生という縛りのある個々の人間が,この世の全てを知りたいと思うときどのようにすればよいか」という問題が通底している.
私も茂木さんと同様,この世の全てを知りたいという欲求がある.しかし,自分の一生全てを使ったとしても到底知り尽くせない量に呆然としてきた.
それに対する答えの一つとして,全てを知ることをあきらめ自分の専門に閉じこもるということがある.現在,いろいろな学問が「サブカル化」していることがその例である.
しかし,本当にそれで良いのか,他に良い方法はないのか.これからももがき続けていくのが茂木さんの現在の答えである.
私は「理系」「文系」というくくりが嫌いだが,おそらく茂木さんの影響を大いに受けている.
学部生の頃,会計学をやっているという人間に,「私は物理を専攻している」と言ったら,「バネの問題で,バネの数がどんどん増えるような,そんなことをやっているのですね!」と言われて,心底脱力したことがある.「文系」「理系」などという,人為的な枠組みを知的怠惰の言い訳として援用することがまかり通るこの国ではあるが,「連続体仮説」や,「量子力学の観測問題」といったこの宇宙の深遠に抵触するような問題群を知らずして,大学を出た学士だとか,知識人だなどと気取ってほしくはない.(p112)
私の数学科の先輩が,社会人の方に「数学科って何やってるの? 円周率をもっと小数点以下まで計算し続けたりするの?」と言われているのを聞いて,茂木さんと同様に脱力したことが過去にある.その人自身「いわゆる文系」出身の方だが,少しぐらいは知っていてほしいと思ったのを覚えている.
しかし,それを要求するためにはまず,私も専門の物理だけでなく経済学,文学,社会学など他の学問をある程度,知っている必要があるということも自戒しなければならない.
この本ではまた,茂木さんの専門の脳科学の面白さが語られている.
「思考の自然化」とでも呼ぶべき事態の進行の下で,人間の思考はブラックボックスから出された.このような人間の思考の基礎に関する考え方の変化を前にして,思考の曖昧さは自明のことではなく,むしろ一つの驚異であることをこそ見てとるべきである.脳内過程の厳密なる進行支えられているにもかかわらず,人間の思考がいかにして「曖昧」たりうるのかということ自体が,大変な問題を提起しているのである.(p40)
たしかに,数学的形式で表される物理法則という厳密なものから曖昧なものが生まれることは不思議なことのように思える.ただ,それが複雑系の面白いところだ.川の流れや気候などの自然現象もナビエ・ストークス方程式で記述できるが,そこに厳密性を感じることはない.
この本で何かを知れるということはない.ただ,読者の知的好奇心をドリブンしてくれることは間違いない.
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