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捨てたくないけど、軽やかに暮らしたい

ここ数ヶ月、このジレンマと日々向き合いながら暮らしている。

わたしの家は物が多い。
理由は3つある。

  1. 実家暮らしだから

  2. 遺伝

  3. モノを大切にするから

1と2の話もすごくしたいんだけど、今日は3の話。わたし、モノを大切にする、丁寧で素敵な暮らしをしているんです✨って話ではなく、モノとの気持ちいい向き合い方を考える話。なるべく捨てずに。

モノを捨てたくない理由

なぜ、わたしがモノを捨てたくないか。

それはひとえに、

わたしのかわいいものたちを、灰にしたくもなければ、埋め立て地へ送りたくもない。

この一点に尽きる。

わたしはモノ愛が強い。
多分、子どもの頃から。

マンション大規模改修と姉姪長期来訪という秋の2大イベントが重なって、大変に致し方なく家中のモノをひっくり返して整理整頓するという楽しかったり苦行だったりする日々を送っているのだけど、

めっちゃ大変。
でも、学びに満ち溢れてる。
歓喜の再会の嵐。
心や人生を整えるよき時間。
でもめっちゃ大変。とても。

そう、モノ愛。
実家暮らしなので、幼稚園の頃に買ってもらったぬいぐるみとか、わたし全人生で出会ったモノたちと毎日こんにちはする時間の中で度々びっくりしたことには、

ほとんどのモノを、わたし、今もかなり好きだ。

ということで。

もらったもの。
買ったもの。

いろいろあるけど、今もこの世界に残ってる、いつかのわたしが「持っておこう」と選んできた、好きなもの。大切なもの。それがわたしは、今も好き。

好きなものを選び抜く才能が、少しだけあるのかもしれない。という気づきを得た。きっと、強いモノ愛によって。

だから、捨てる理由がない。
好きなのに。大切なのに。
スペースがない。
ただそれだけの理由で、なぜ埋め立て地へ送らねばならぬ?わたしのかわいい子達を。

そのためわたしは戦っている。
恐ろしく大量のモノたちと。

そう、戦いになっちゃうの。
大切なモノばかりなのに、束になると、大きくて強いの。押しつぶされそう。
それがつらい。
ただにこにこと、愛でていたいのに。

断捨離ではない道はないのか

断捨離すればいいじゃん。

だよね〜。
でもちがうの。
理由があるの。

断、はいいの。まだ。
捨、がいやなの。やだやだ。
離、はできたらいいな、とは思う。


「捨てる」と「手放す」は違う

このことにある日はっと気づいて、すごく気持ちがすっきりとした。ここを分けることで、「手放すもの」の判断がぐっとつけやすくやった。

わたし、捨てたくないんだ。
手放したくない、わけじゃなくて。

手放す
は、わたしのものではなくすということ。

捨てる
は、ゴミにするということ。

そう。
ゴミにするのがいやなのだ。

だから、手放すけど、ゴミにしない
その先の道を今耕してる。

あげる。
寄付する。
売る。
リサイクルする。

ありとあらゆる方法で、わたしの大切なモノをゴミにせず、世界にモノとして存在し続けたり、資源として循環の輪の中に入れることに、膨大な時間と情熱を傾けている。


モノに埋もれて、世界の仕組みを知る

大量生産、大量消費社会。

その中でわたしたちは今、今も、生きているんだということを思い知った。

エシカルの仕事をかれこれ20年近くしてきているわたしにとって、それはあたりまえすぎる知識。

けどこの数ヶ月毎日毎日(うんざりするほど)モノと向き合い続ける日々の中で、それを「体感した」。

あんまりモノは買わない方だし、買う時は家族を迎えるくらいの真剣さで選び抜くことが多い。エシカルを大事に生きているので、モノの成り立ちやライフサイクルも意識して日々を過ごしている。

それでも。
いくら気をつけていても、日々家に雪崩れ込んでくるモノ、もの、物。安く買えるもの。無料でもらえるもの。買ったものを包むパッケージ。毎日毎日、モノが家に入ってきて、どんどんどんどん溜まっていく。

溜めないためには、捨てるしかない。
家のスペースに見合う分だけを、管理し続けるしかない。
だから人は断捨離をする。
家も心もスッキリと整えて、軽やかに暮らしていくために。

もう、社会の仕組みがそうなっているんだ。
たくさん作って、
たくさん売って、
たくさん買って、
たくさん捨てる。

だから、これに抵抗しようとするとものすごいパワーを要することになる。今のわたしみたいに。

じゃあ、いらないものはどんどん捨てていけばいい。運気も上がるし、ストレスも減るし、スペースも生まれ、いいことだらけだ。

でも…本当にそうかなあ?


なぜこんなにもスペースがないのか

日本は人口密度が高いから。

マシンガンズ滝沢さんのお話を伺う機会があって、その時に打ちまくった膝、の内容のひとつがこれ。なるほどね!と。

だから家のスペースも小さいことが多い。
たくさんのものをつくって売って買う、その社会の仕組みに家のサイズが合わないので、買った分たくさん捨てるしかない。

断捨離しないと成り立たないのは、日本特有の住環境からくるものでもあるんだ。

そしてわたしは思った。
家に自分を合わせるんじゃなくて、自分に合った家を選びたい。

そう考えた時、わたしにこの家は狭すぎる。
わたしはモノを長く大切にしたいから、それが出来る、その暮らしを心地よく回していける家に住む。それしかない。


片付けながら見つけた夢

「わたしサイズの家に住む」
人生の新しい目標ができた。
うれしい。

と同時に、断捨離しなくても回る、心地よい社会の仕組みをつくりたいなって改めて思った。

なんでわたしが断捨離ではない道を探しているかというと、ここにも理由は3つある。

  1. モノを長く大切に使いたいから

  2. 大切なものを灰にしたくないから

  3. 地球が回るキャパで暮らしたいから

1と2はたくさん話してきたから、3のこと。

地球は今キャパオーバー状態で、人間でいうと毎日信じらんないくらい食べ過ぎて体の処理が追いつかない、そんな状態にある。

地球2.7個分、だったかな。
今日本が使ってる資源の量。
約3倍のキャパオーバーなのだ。

今年の夏の猛烈な暑さとかも、そういうところから来てるとわたしは思ってる。

社会のため、未来のため、子どもたちのため。
というよりも、その方が心地いいとわたしは思うから、2つめの夢も叶えていきたい。

大量生産消費の輪の中でぐるぐる忙しく回されるより、ちょうどいい量、とびきりのお気に入り、
思い出のたからもの。そういうものたちを愛でて、大切に扱って、のんびりと味わう暮らし
をわたしはしたい。

地球の範囲内でちゃんと回ってるな、わたしの暮らしや仕事が人や環境をしあわせにできてるなって、安心していられる、誇りを持っていられる暮らしをしたい。

わたしがしたいから、やる。
わたしが心地いいと思うから、選ぶ。つくる。
そのシンプルさでいいと思うんだ。何事も。

モノに埋もれながら見つけた新しい夢と、わたしの心地いい暮らし。きっと叶えていくんだ。

(そしてあともう一息の片付けも震えながらがんばる…!きっとこれも、大切な時間や学び。あせらず一歩一歩だ)

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