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褒めすぎNG?じゃあどうやって褒めればいいの?モンテッソーリメソッドにならう真の褒めテクとは?

お疲れ様です!オーストラリアで保育士をしているぴぃです!

ひと月前に書いた記事のフォローアップとして書き始めたこの記事、途中まで書いた後に別テーマの記事が連載化してしまい引越しも相まってうっかり放置しておりました汗

To Doをリスト運用しなければなりませんね汗

こちらの褒めすぎない親御さんが素敵だなぁと思った褒めすぎちゃう系保育士、私。

普段の保育から何してもWell done!!! Good job!!

を連呼してしまいがちな私。

こどもたちは褒められて嬉しそうだし、褒めてくれる私を好きでもいてくれます。でも前回書いた通りあんまり良くないな、気をつけなければって実は思っています。

理由はいくつかあります。

まず1つ目、

上記の褒め方、日本語で言えば

凄いね!上手!

という感じの言葉です。何をやってもこの言葉をかけるということは、この時点で私の思考は実は停止はしているのです。

なぜならそこにはなぜ凄いのか、なにが、どう上手に出来たのかという情報が何も入っていない上に、子どもたちががんばらなくても出来ること、頑張って出来たこと、頑張ったけど出来なかったことを全て一律の

凄いね!上手!

で片付けてしまっているのです。

なにか絵を描いたら凄いね!上手!

石ころを飛び越えたら凄いね!上手!

おトイレでおしっこ出来たら凄いね!上手!

逆立ちで園庭を100周出来たら凄いね!上手!

これじゃあ何がなにやら、何がどのくらい凄くて上手なのかさっぱり分からないですし、

石ころ1個をとびこえたら校庭を100周したのと同じくらい褒めてもらえるのであれば、石ころ飛び越えておいた方が楽ですよね?特に努力はいらないですから。

つまりこれらの理由を述べない安易かつ一定な褒め。は、こども達を本来の評価を得るための努力から遠ざけてしまったり、大人が思考停止した一定の言葉を送り続けることにより無意識に目標だてをしたり、自分の行動のなにがよかったのか(もしくは悪かったのか)を考えたり、分析する機会からも遠ざけてしまっているのです。

また、自分を自由に表現をするツールになっていた絵を褒められているうちに、それが褒められるためのツールになってしまってもつまりません。

これが2つ目の理由。

行動すべてを区別なく褒められていると、こどもが何か行動を起こす動機が、褒められるため。になってしまう。という現象が時におこるのです。

本来は自分の目標を達成するため、シンプルにそれがやりたいから、気になったから、楽しいから。など、自分の中で完結する理由で行動を起こせていたはずが、他人に褒められる。ということで完結する行動にしか達成感を感じないようになってしまうという事です。

そんな子ども達がそのまま就学し、大人になっていき、他人の評価でしか自分の価値をはかれなくなってしまう。具体的には他者に認められたいがために自己顕示欲が著しく強くなってしまったり、他者に評価されなければ自分の価値を認めることが出来ないなど、自己肯定力の低いまま成長してしまうケースが実際増えているそうです。

だからこそ自らを発信し、それをイイネやフォロワー数などわかりやすい形で他者に評価して貰えるSNSがここまで流行ったのかもしれません。

それでは子どもは褒めない方が良いのでしょうか?

実はこれ、褒められるべき時にですら褒められなかったり、褒めよりも否定をより多く受けてきたこどもが大人になった時にもほぼ同じような傾向が見られます。

何を隠そう私がその1人。

褒めるところのあまりない子どもだった・・・というところはあるかもしれませんが、厳しい祖母にそれこそあまり褒められることなく育てられた母は直接褒めるのが得意ではなく、

また、細くて可愛くて少し変わっていたので目立ちやすく、友達も多くて成績の良い姉が4学年上にいたためか、

ぽっちゃりで可愛くもなく成績も鳴かず飛ばずの私は地域でも通っていた塾でもなんでお姉ちゃんは細くて可愛くて頭がいいのにあなたは違うの?という扱いを受けてきました。

ちなみにいうと父に関しては何があってもぴぃちゃん可愛いねーすごいねー偉いねー

というまさに前者の褒めをする人なので、

言うなれば今回記事でいう”褒めすぎ” ”褒めなさすぎ”ハイブリッドで育った例が私だと言っても過言ではありません!!

どやっ!!

って・・・自慢するところではありませんね(苦笑)

そんな私は少なくとも大学生頃まではかなり前述の、自己顕示欲が強いのに、自己肯定力が弱い。という傾向を顕著に持って育ってしまっていたように思います。

褒められるようなことは一切していないにも関わらず母に褒められたい。新しくできた友人には凄いと思われたくて自分のことを盛って話し、無理矢理凄いと言わせる。そのくせにずっと仲良くしてくれている(未だに友人である)中学からの友人は本来の自分を知っているため、根に抱えていた自己肯定力の低さから、

「みんな優しいから仲良くしてくれてるけど、本当は私の事なんて嫌いなんだろうな」

と、本気で思っていました。

いやっ絡みづらっ!!!!!!


しかも自分のそんな絡みづらさもどこかで自覚しており、上記のような行動をとったり、人前で自分のうじうじマインドを晒してしまったあと結構へこむというめんどくさいおまけ付き。

こんな私とずっと仲良くしてくれている友人には感謝しかありません。

このような傾向を少しずつ改善できたのは、何を隠そう保育を始めたことがきっかけでした。

大学1年の終わりの頃に始めた保育室でのバイト。まず子どもたちは分かりやすく私を半永久的に求めて来てくれますし、「先生大好き!」と言い続けてきてくれます。その言葉に嘘がないことも当然わかりました。

そこで私が感じたことは

・・・この世の中に、私を好きになる人間がいるのか

って、当時の私、心優しいモンスターとやらだったのでしょうか(笑)

そしてスタッフの中でもぶっちぎり最年少だった私、他のスタッフの方々にも本当に甘やかされ、褒めて伸ばして頂きました。

これも大きかった。

この期間を経て、私は少しずつ自分の長所と短所を認められるようになり自己肯定力も少しずつついてきて、それと同時にに自己顕示欲も著しく強い。から現在のちょっと強め程度に落ち着きました。

そしてその時に先輩スタッフからして頂いた褒め方がまさにこれからお話する、真の褒めテク。を使ったものだったのです。

タイトルにはモンテッソーリメソッドにならう。と書きましたが、モンテッソーリの細かい解説は今後別記事でしていこうと思います。

今回はその中で推奨される褒めテク。のみを今回は紹介いたします。

まず大前提の考え方としては

子どもがなにかを達成した時、彼らは自分達の中で達成感を感じている。それで肯定は充分なので、大人が言葉を加えていわゆる褒める必要は無い。

と言うもの。

ただ寄り添い、子どもが達成感、満足感を感じていることを確認して一言「出来たね。」など、その達成感を増長するでもなく共有、共感するシンプルな一言を投げかける。

自ら自分が達成したことを実感している子どもにとっては、他者もその達成を認めている。という確認が出来ればそれでよい。という理論です。

だからといって、褒めてはいけない。という訳ではありません。

子どもを褒めたい。、と思った時は、ただ凄い、偉い、上手。という言葉を伝えるのではなく、

なぜ、なにを良いと思ったのか。を大袈裟すぎない端的な言葉で伝えます。

例えばお絵描きを褒めたい時には

この色使いが好きだよ。

この女の子の表情がよくかけていて素敵だね。

など。

努力したこと、達成したことも結果ではなく経過を褒めます。

例えば逆上がりが出来た子どもを褒める時は

逆上がり出来たね!凄いね!!よりは

毎日休まず練習していだからできるようになったんだね。とても凄いことだと思うよ。

足の蹴り方や腕の力の入れ方など、言われたポイントをしっかりと考えながら出来たね。

の方がこの場合効果的な褒め方。ということになります。

なぜなら子どもは逆上がりが出来た。という結果よりも、毎日努力したこと、ポイントをしっかりと頭に入れて行動したこと。が評価されたということを認識することが出来るからです。

努力をする、人のアドバイスを取り入れながら成功に近づける。などは逆上がりができるようになる事以外にも有効な今後の人生でとても大事になってくるライフロングスキルです。

褒める。という行為を、例えば逆上がりが出来るようになる。という直接的な目的ではなく、そこに至るまでの経緯で得た、今後の人生に重要になってくる学びを明確にしてあげる。というツールとして上手く使う。ということがこの褒めテクの重要なポイントなのではないかと私は理解しています。

と、ここまで理解していてもやはり、子どもたちが少しでもいいことをしたり、コミュニケーションツールとしても最初に挙げたwell done!! Good job!!!を連呼してしまいがち系保育士の私。

まぁそれが自分なのかな・・・と思いつつ、

意識的にこの効果的褒めテクも織り交ぜるようにしています。子どもたちに自分で目標を見つけ、それに向けて努力が出来る人に育って欲しいなと思っているからです。

正解、不正解はありませんが、少しでも何かの参考になったら嬉しいな!と日々思っております。もし少しでも参考になったらスキ(ハートマークポチッとな)やフォローをお願いします!!


 文責:ぴぃ








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