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手塚治虫が語る「作家の功績」-編集者と雑誌への二つの想い
手塚治虫さんと編集者の関係性は、これまで多くの本で語られています。
原稿がなかなか進まず、手塚プロの壁を殴って穴を開けた。
手塚治虫さんが居留守をしているので、電柱を登って部屋を覗いた。
カンヅメになっている旅館をつきとめたが旅館に入れないので、刑事を装って旅館に入っていった。
などなど、今となっては武勇伝のように語られていますが、当時は本当に大変だったと思います。
編集者から手塚治虫さんは、「おそ虫」や「うそ虫」というあだ名がつけられていたのです。
編集者との戦いのエピソードは、「ブラック・ジャック創作秘話〜手塚治虫の仕事場から~」に詳しいです。
「このマンガがすごい!2012年」(宝島社)のオトコ編1位を受賞しています。
まさに手塚治虫 VS 編集者ですが、編集者がいなければ作品のほとんどが生まれなかったと、後に手塚治虫さんは述懐しています。
一蓮托生の存在だったのです。
ただ、手塚治虫さんが編集者や出版社に対し、ドライにも語ってもいます。
石子順さんが聞き手となった手塚治虫さんとの対談、「漫画の奥義」(光文社知恵の森文庫)に書かれています。
少々長いですが引用します。
かなり衝撃的な、突き放したような書き方をしています。
手塚「あくまで雑誌というのは、非常にずる賢いと同時に、非常に素朴です。だからすべて、流行とか子どもの時代相というものは外から取ってくる。自分のところから生み出そうとしない。たまたま生み出すのは作家であって、作家がたまたま『がきデカ』のようなものを生み出す。それは、作家の功績であって、別にそれを生み出そうと思って、雑誌が『がきデカ』をつくったわけじゃない。赤塚さんの流行語にしてもそうです。偶然生み出された。本当に偶然生み出された。雑誌はなんの功績もない。ないだけに、雑誌に妙なつながりもわれわれはないわけです。」
「雑誌はなんの功績もない」
「雑誌に妙なつながりもわれわれはない」
と言っているのです。
では、その出版社、雑誌に属する編集者を信用していないかというと、違います。
編集者を「漫画家より読者に近い存在」として、捉えています。
『ブラック・ジャック』の連載時は、毎週、案を四つ考えて編集者に提示し、編集者が選んだ一つを採用します。
連載は秋田書店の「週刊少年チャンピオン」で1973(昭和48)年、手塚治虫さんが45歳でのスタートです。
漫画の神とまで言われた人が、編集者に意見を求めているのです。
そして「漫画の奥義」にはこうも書かれています。
石子「手塚さんみたいな人に対しても、やっぱりおもしろくないといって描き直しがあるんですか。」
手塚「ぼくみたいなって、ぼくだろうが誰だろうが、おもしろくないものはおもしろくないんですよ。人は関係ないです。」
「神」でありながら、こう言えるところが手塚治虫さんなのです。
このエピソードは「漫画の奥義」の第三章に書かれています。
同書は、講談社から単行本が発売され、光文社で文庫化されました。
単行本も文庫も絶版となっていますので、古書でしか入手できません。
講談社の「手塚治虫全集」に「漫画の奥義」が入っていますが、第三章は割愛されてしまっています。
お気を付けください。