平和への願いからいろいろ考える
75年前の8月9日午前11時2分、長崎に原爆が投下されました。
もう二度とこのような惨劇を起こさないように、今日は平和について考える日となりました。
いろんな視点から平和を考えてみる
平和の対義語は混乱です。戦争ではありません。戦争は手段を表現する言葉で、平和は状態を表現する言葉です。
とはいえ、平和という言葉はコロナや震災での混乱の対としてではなく、やはり戦争を想起させる言葉です。
コロナや震災の混乱の対としては平穏や平安の方が近いのではないでしょうか?
また、広辞苑には以下のように書かれてます。
①やすらかにやわらぐこと。おだやかで変りのないこと。「―な心」「―な家庭」
②戦争がなくて世が安穏であること。「世界の―」
今日はこの②の方を考えます。
戦争はなぜ無くならないのか?
「戦争のない世界」「核兵器のない世界」。地球上のみんなが願ってることだと思います。なのになぜ無くならないのでしょう?
無くなって欲しくない人が世界を牛耳ってるから?
そうではないと思います。
戦争はよく「行き過ぎた正義」と言われます。核兵器もそうです。
「混沌とした世の中を早く終わらせて明るい未来を取り戻すために」という理由で行われることが多いのだと思います。
このままの状況が続くと多くの犠牲が出てしまい取返しがつかない状態になってしまう。何か状況を打破する策を考えないと。そのためには一時の犠牲はしかたがない。この犠牲で大きな被害を抑えることができるのであればこの犠牲には目をつぶろう。という理由です。
自分が責任者だったら死ぬほど悩むと思います。どちらを選ぶかと言われても選べるものではありません。
だからといってやっていいものでもありません。
すごく大変な決断だっと思いますし、もう繰り返してはいけない決断だと思います。
それでもまだ地球上には紛争地域がたくさんありますし、核保有国もまだ存在します。
それを他人事にはせずに「どうやったら地球上から紛争がなくなるのか」「どうやったら核兵器がゼロになるのか」を考える必要があると思います。それも具体的な手法といったものではなく、相手の心に同調してみる形で。
相手の心になってみて初めて「これは紛争してでも流れを止めないと」「やっぱり核兵器は手放せない」という理由が分かってくるかもしれません。もしかしたら同調してしまうかもしれません。そこからがスタートだと思います。それでも無くす方法を探るというのが必要です。手法だけでは何も変わらないと思います。
これってあらゆることにもあてはまりますね
「行き過ぎた正義」を止めるにはどうすればいいか?
このままの状況が続くと多くの犠牲が出てしまい取返しがつかない状態になってしまう。何か状況を打破する策を考えないと。そのためには一時の犠牲はしかたがない。この犠牲で大きな被害を抑えることができるのであればこの犠牲には目をつぶろう。
という先に書いた理由、今でも言っている人いますよね。戦争は非難しても同じことを言っている人はよく見ます。
外野から「よくない」「やめよう」と言っても相手には響きません。それに相手にも理由があります。相手の心になってみて初めて分かることもあるかもしれません。そこからがスタートです(大事なことなので2回目)。
「○○警察」にしても「良かれと思って」やってます。結果的に自分の行いが良い結果に結びつくと信じています。
こういった人たちの気持ちが分からないまま「やめよう」と言っても、こちらが壁を作っている状態では相手には伝わらないですし相手も壁の向こうから言われても聞こえません。
非難したり「やめよう」と提議する前に、一度相手の心になってみることは大切だと思います。それによって全く違う視点からの解決策が生まれてくる可能性もあると思います。
まとめ
相手の心になってみよう。
あくまでも自分の目でみた相手ではなく、相手になりきることが大切です。新しいことが見えてくるかもしれません。
戦争を起こした人、核兵器開発に携わった人の苦悩も考えて、これからの未来を明るくする方法をみんなで考えていきましょう。
というところで、今回はここまで。