やれやれだぜ
会社がつぶれた後を想定して大型免許を取ろうと教習所に通っていた。教習所から帰ろうとしたときに誰かが言った「また大きな地震があったんだって」
なので教習所に通っていたのは2011年ということを覚えている。ほどなくして会社は終わった。会社は終わったが父親と叔父は同じ仕事を続行した。親をもう信用出来ない私は違う会社、業種に移った。トラックの運転手になった
工場はもうこりごりで40歳過ぎて経験もなく出来ることが限られていた。若い頃勉強しなかったつけが回ってきたのである。森高千里が歌っていた勉強はしないよりしておいたほうがいいよっていうのを実感した次第である
月末でいったん会社は終了という時点で私は運送会社に内定していた。実家の会社は少しだけ運送もやっていたのでトラックに乗ったことがあるが大型免許取り立てでほぼ未経験であった
3日ほど横に乗ってもらって4日目からは一人で。だいたい朝5時出発で仕事終わって帰ってきたら夜の9時ぐらいになっていた。一度高速使わず(本部から使えという指令がないと使えなかった)姫路に8時着の時は朝4時に出発した。弁当作る嫁は朝?3時に起きて作っていた
なんじゃこれー!しんどいやんけー!noterのほとんどが頭脳労働か学生だとおもうので言うがトラック運転手しんどいやんけー!頭脳労働の奴、仕事で疲れた?あほかー!
ポテトチップの箱を4tトラックのウイング車の荷台パンパンに2時間ノンストップのほうがしんどいわ!都昆布の箱4t車の荷台手積みでパンパンにするほうがしんどいにきまっとるやろがー!降ろすときももちろん手降ろしで2時間ノンストップじゃ!(ちょっとはお茶飲む)
夜帰ってきて寝たらすぐに次の日がやってきて土曜も基本出勤。勉強してたら週休二日、勉強しないと土曜も仕事(いや知らんけど)
なので金銭的には問題なく大学へ行くかどうか迷ってる人、ドラゴン桜見てテンション上げて大学へ行けー!
転職時ハローワークでこの職場いいなあとおもっても「大卒以上」という文言で面接にたどり着けないのである。そこで学歴社会が崩壊していないということを知るのである。大学っていうのは一個の資格なのである
そんなこんなで4週間ぐらいたったある日その日は滋賀県で珍しくパレット積みの荷物であった。パレットに乗っているということは手で積まなくていいので楽ちんである
パレットに乗っているのは何かの部品か1個30~40キロぐらいあった丸っこい金属の塊であった。それがパレット1枚に40個ぐらい乗っていたとおもう。いや50個ぐらい乗っていたかもしれない。それが2パレット。部品(というには大きい)はラップでぐるぐる巻かれているだけだったが私は強く固定することもなく出発した
その日はめずらしく高速使えという指示があって名神から近畿道に入るところだったかインターのカーブを快適に飛ばしていたのだが車が突如全くいう事をきかなくなった。ブレーキを踏んでも全くきかないのである
車体が左に大きく傾いた。カーブの遠心力により3トンから4トンぐらいあると思われるただパレットに置かれているだけの荷物が一斉に片側に寄ったのだ。私は叫んでいた「うわあああああああああ!!」人生で初めて「死んだ!」とおもった瞬間である
ガガガガガガとガードレールに乗りながら中の荷物を全部ぶちまけて軽くなったのが理由か倒れていた車体がぼよよよ~んと立ち上がった。それと同時にブレーキも効くようになった。思いっきりブレーキを踏むと、そんなことがあるのかとおもったのだがトラックの大きなフロントガラスがまるまる外れて前に飛んで行った
中の荷物もフロントガラスが無くなったところから飛んでいきシートベルトしている私はバイ~ンとシートに固定されていた。私だけ時間が止まっていたのだ。逆スタープラチナ ザ・ワールドである。もしシートベルトしていなければ車外に投げ出されていただろう
会社に電話すると「とりあえず警察きても伝票ないっていえ」と伝票を隠す指示を得た。あとから考えたら4t車だったのだがひょっとしたら4tギリ超えて重量オーバーだったのかもしれない
幸い単独事故でさらに2車線の1車線だけをふさぐ形になったので流れは悪いが車を止めることはなかった。会社から応援(?)の人がやってきて30~40キロぐらいの塊をすべて回収して次の日上司と謝りにいったが部品は使い物にならなかった
その日を最後に私は4週間程度の短い運送会社人生を終えることになった
その後、とあるブラック企業を経て1年後再びトラックに乗ることになるのだがラジオを聞いているとトラックの横転情報をちょいちょい耳にする。私だけではないのである
それから数年後気がついた。私は横転してない。ぼよよよ~んと戻ってきたから厳密にいうと横転しかかったけど横転してないのである