#3 地積のはじまり
こんにちは!
UedaFPandAgentです。
ちょっと歴史的な話と現在起きている問題と解決方法について少し触れたいと思います。
1.プロローグ
家を購入するときに付きまとうものの一つに「土地の面積」があります。
所有権の土地でも、借地の土地でも、ほとんどの人が大きさを気にしますね。「この土地は40坪くらい?」とか、日本では馴染みあるものです。
ここで子供のころ疑問に思った人も多いと思います。「なんで坪で言うの?」「坪って結局何㎡よ?」「土地の大きさってどうやって最初決まったの?」って。
今日はそんな疑問に簡単に触れていきたいなと思っています。
今回は「土地の大きさってどうやって最初は決まったの?」をテーマにお話をしていきます。
A.土地調査の歴史
2.土地調査の始まり
実は人が土地を利用するということを始めたのは西暦701年(大宝元年)にまでさかのぼります。
かの有名な西暦645年の大化の改新により、律令制度が導入され、年貢制度が整備されたことが土地調査のはじまりとされています。
当時は国が農民に土地を貸し付け、収穫物の中から田租を税として国へ収納し、残りを自らの食料とするように使われていたようです。
これが西暦701年発足の班田収授法です。
3.太閤検地
時代は過ぎ、室町幕府が訪れ、応仁の乱を経て戦国時代へ突入します。
そして織田信長の死後、豊臣秀吉が天下をおさめ、1591年頃太閤検地が実施されました。
この太閤検地が、現土地の大元になります。
また、江戸幕府以後も、検地は続けられました。
4.地租改正
西暦1873年に地租改正がありました。
明治政府による租税制度改革です。
この地租改正により土地の私的所有が始まり、個人の財産としての価値を有するものに変わりました。土地に地番が割り当てられたのもこの制度によるものです。
地租改正の際に行われた測量結果は、地券というものに記され、その内容は地券台帳にまとめられました。
その後1885年に登記法が成立し、土地所有を公証する制度がつくられました。この登記法は現在の不動産登記法の源流です。
この法律により地検は土地台帳制度に引き継がれ、登記簿と一元管理されることになりました。これが「旧公図」と呼ばれる図面になります。
したがって、現在の土地登記というものは、地券台帳にさかのぼるものと言えるのです。
B.問題点
現在の土地登記の由来とされる「地券台帳」の測量結果は良いものではありませんでした。
現在に比べて測量技術が未熟であったことや、時間と人員の制約がから測量の専門家でないものが測量を行ったことや、税逃れを図り、故意に過少に測量したことなどが重なり、必ずしも正確なものではありませんでした。
現在の登記簿においても実際の地形や測量面積が一致しないことが多々あり、境界問題などの原因となっています。
C.実務的な話
不動産取引において、登記簿上の面積と実測面積が違うことなどザラにあります。
いわゆるニュータウンと呼ばれるエリアや再開発等によって換地が行われた地域では登記簿とのずれというのはほとんどありません。
最近の測量技術により高精度の測量が行われ、座標で管理されているからです。
しかし、旧市街地である地域(繁華街や古い町)では、地券台帳図面(旧公図)が公図として再製されていることが多く、結構めちゃくちゃなことが多いです。
登記簿では100㎡と書かれていても、実際に図ってみると130㎡でしたなんてこともありえます。
ほとんどの土地は、大きな地積を誇っていた土地から少しずつ区割りされていって現在の形になっています。
昭和時代の測量というのは、区割り時に必要な部分のみを測量して計測し、分譲した方はきれいに面積が出ているんだけれども、残った方の土地は登記簿面積から測量部分を差し引いて、登記簿を書き換えていっていました。
この残地を持った方は悲惨です。
測量結果が残っていないうえに、登記簿から測量結果を差引いて記録していくため必ず大きさがずれていくのです。
私が直近で経験したのは、現況では250㎡ほどある土地が登記簿上では7㎡と記載されているものでした。
ここまで極端なのは珍しいのですが、残地扱いの土地というのはこういったことが起こるので大変おそろしいものなんですね。