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〜島の生活を振り返る〜
京都にいると、「ふと実家のある島を思い出すことがある」。故郷である徳島県の小さな島、「伊島」の生活について振り返ると、そこにはコンビニもなければ、医者も警察もいない。店といえば、昼間の数時間だけ営業する漁業組合の小売店がある程度だ。日用品や食料品は、連絡船で30分かけて本土へ買いに行く必要がある。
それでも、島民たちはあまり不便さを感じていないという。便利さや不便さの基準とは、一体何なのだろうか。
「便利」とか「不便」という概念は、結局のところ 何を基準にしているか で大きく変わる。
例えば、都市部で生活している人にとっては、コンビニやスーパーが24時間営業していて、病院や警察がすぐ近くにあるのが「普通」で、それがなければ「不便」と感じる。一方で、伊島のような場所では、もともとそういうインフラがない状態が「普通」だから、不便さをあまり感じないのかもしれない。
「便利」とは何かを得るまでのコスト(時間・手間・ストレス)が少ないこと。
だけど、その「コスト」の感じ方も人によって違う。島の人にとっては、必要なものを陸で買ってくるのは当たり前の生活の一部で、それほど負担に思わないのかもしれないし、むしろ静かで落ち着いた環境の方が大事だと感じている可能性もある。
便利・不便の基準が変わる要因:
環境への適応
その場所で長く暮らしていると、それが「普通」になる。
価値観
何を重視するか。都会の人は「時間の短縮」を重視することが多いが、島の人は「ゆとり」や「コミュニティのつながり」を大切にしているかもしれない。
技術の進歩
昔は不便だったことも、インターネットやデリバリーの発展で解消されている部分もある。
比較対象
都会と比べれば不便だけど、昔に比べれば便利になっていることも多い。
都市部の「便利」が、必ずしも本当に快適かというとそうでもないし、伊島の「不便」が本当に不便なのかも、当事者に聞かないとわからないよね。
もしかすると、伊島の人たちからすれば、「都会は人が多すぎて息苦しい」とか「近所付き合いが希薄で逆に不便」と思っているかもしれない。
結局、「便利・不便」は、その人の 暮らしのリズムや価値観の中で決まる ものなんだろう。それはまさに、信頼が成り立っている社会 だからこそできる暮らし方だと思う。
島のような小さなコミュニティでは、「人の目」=「監視カメラ」 の役割を果たしていたんだろうと思う。都会では、物理的な監視カメラや警備システムに頼るけど、島では 人々のつながりが自然なセキュリティシステム になっている。例えば、誰がどこで何をしているかがある程度わかるし、不審な行動をすればすぐに話題になる。
島社会の「人の目=監視カメラ」システム
自然と情報が共有される
→ 誰がどこに行ったか、何をしているかがわかる(悪いことができない)見守りの文化がある
→ 監視ではなく、互いに助け合うための「気にかける」仕組み信用が蓄積される
→ 長く住んでいるほど信頼され、不正をする人がほぼいない
都会だとプライバシーを重視するけど、島では**「お互いのことを知っている」ことが安心につながる** のかもしれない。
現代社会の監視カメラは「何かあった時の証拠」を残すためのものだけど、島の「人の目」は そもそも問題が起こらないようにするための仕組み になっているのが面白い。
結果的に、性善説が成り立ちやすく、安心して過ごせる大丈夫な環境ができているんだろう。