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もう一つのBIRTH

 夏至の日、オーガニックロッカーのTOKI君のトークライブに柴犬の源ちゃんといった。三次まで2時間弱のドライブ。晴天で、とても暑い日だった。朝、ガーデンのサニーレタスをお届けしようと思い、袋いっぱいにサニーレタスブーケを作り、車を走らせた。
 やっと到着したころ、トークライブが始まった。源ちゃんに、「行ってくるね。」と伝えて、そそくさと部屋に入っていった。
 トークライブ「新しい教育のカタチ」の話は、フリースクーリングをしていたTOKIくんの18歳くらいまでの様子から伝えられた。始まってすぐ、初めての場所で落ち着かない源ちゃんは、ハーネスをするりと外し、家じゅうを駆け回るというハプニングもあった。

【TOKI君のホームスクーリング】
 このホームスクーリング。多い時には35人くらいの家族が、シェアハウスをしながら行っていた。日本には20年前なかったカタチで、当時、広大なアメルカでは、学校に行くか、ホームスクーリングを選択できた。そのプログラムを取り入れたのだ。そこで、親たちが、アメリカから教材を取り寄せて、国語は公文を取り入れていた。1教科、10冊を自分で1冊ずつ読んで学び、1冊の本が終わったら、テストをする。80点以上取らないと次に進めないというプログラムだった。サポートしてくれるのは、そこに住むお父さんお母さん。学びの場は、「ホーム」だった。英語で書かれている教材なので、家族が自然と英語を学んでいき、学習を進めていったそうだ。メリットは、人と比べるのではなく、80点取らないと先に進めないので、自分のペースでできること。そして、コニュニケーション能力が自然に身についたこと。勉強がなかなか進まない子どもは、補習クラブがあり、そこでも学んでいた。デメリットは、日本語をゆっくり身につけていったこと。例えば、英語と日本語のコップがあるとすれば、両方のコップに知識を注いでいくので、日本語を学ぶには、少し時間がかかった。また、母校がない、日本にいても、周りの日本人に慣れてないなど、アイデンティティロスもあった。
 TOKIくんは学校はダメでホームスクーリングがいいと言っているのではなく、一般の学校のように、一斉に何かやって比較されるのではなく、ホームスクーリングは、自分の責任で自分のペースで学び、テストが80点以上になってから、次の一冊に進めるので、自信や自尊心みたいなものが培われた。だから、人と比べて、レッテルを自分に貼ってしまうことはない。
 一般の学校でもコミュニケーション能力は育てられるけど、共同生活なので、縦や横の関係は日常にあり、自然にコミュニケーション能力が育ったという。例えば、年下の子どもの世話をしたり、見たいテレビ番組があったとしたら、これとこれをやったら自分たちの世代で番組見せてもらっていいですか?など、大人に交渉していた。

【新しい教育のカタチ】
 今、フリースクール、通信制高校、オンラインフリースクール、学校に行かずして単位が取れるなど、いろいろなカタチは実在している。
 教育は選べる。学校で勉強する、選択は一つじゃないのだ。今まで、私たちは、そもそも教育を選べないと思っていた。それは、子どもは学校行く義務があると思い込んでいる親や先生が多く、義務教育というカタチを違う受けとめかたをしていた。つまり、義務教育とは、親が子どもに教育受ける環境を与える義務があるということ。だから、子どもは教育を受ける権利を持っているのだ。
 教育は、生きる力を育てたい。
日本人は、縄文時代のころから、特技を伝え合って生きる力を育ててきた。一方で、今の学校は、就職ができるように導いてくれている。就職ができることと、生きる力を身につけることが、イコールになっているのか?ここは、吟味したいところだ。なぜなら、今、就職して1年目で辞めてしまう人が多いから。
 そして、今ある学校という場を、めちゃくちゃ生かしたい。東京多摩市の教育現場で働くシミズヒロミ先生は、60年前から特別活動を学校教育は進めているのに、うまく進められていないと感じている。そして、人は、知識を学び、考えること(左脳)とクリエイティブなこと(右脳)をすることでバランスよく生きる力が育つ。例えば、左脳ばかり刺激続けると、ケンケンパーのケンケンばかりしているようなもの。クリエイティブな脳を活性化させること、知った知識を使い実践することで「あーこいうことなんだあ」という学びにかえられる。これは、元々日本の教育で考えられてきたという。
 もう一つ生きる力を育てるためには、子どもの傍にいる大人が、楽しそうに人生ゲームを遊ぶことなのだ。その姿を子どもはみて育つ。

 【新しい教育のカタチを意図して、アクションを起こす】
 それぞれが心地いい衣食住を選ぶ。これが正しい、正しくないという選択でなく、その人にとって心地いいものを選んで暮らしていく。
 生きやすい心地よい世界をDIYする。自分でやるということは、それは例えば、自分に心地いいものが今ここになかったら、それを作ればいいということなのだ。
 このような話を、優しい言霊で語られ、心地いいい空間がそこにいる人たちを包んでトークライブ【新しい教育のカタチ】は、終わった。

 【ジャッチ】
 
先日、あるコニュニティーで、3時間、ディベートがあった。私は、傍で聞いていたのだが、それは、正しさ、ジャッジについてディベートしているように思えた。すると、調和とは何か?という思いが湧いてきた。
 今回、TOKI君が、昔から日本人は、吟味することを知っていた言っていたが、これが、調和を生み出すことだなと感じた。つまり、一つの答えを導き出すのではなく、お互いの思いを愛をベースに尊重すること。これが、調和だと思う。戦っていては、戦いのエネルギーを作るだけ。このことをクリスタルチルドレンといわれる人たちは、すでに分かっている。戦いをするのではなく、そんな暇があったら、自分でDIYするんだと。
 私は、とても腑に落ちた。「そうだ、自分の心地いいものを作ればいいんだ。」私のエゴが、「そんなことできるわけないじゃん。」とつぶやいてきて自己防衛するんだけど、作りながら育てていけばいいんだと思った。

 読んでくださりありがとう♡    つきまる


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