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道徳授業で大切なこと⑴

【Point】
 ⑴ 本気で考えたくなる「問い」
 ⑵ 困っている子どもに目を向ける
 ⑶ 挙手に頼らない

道徳授業で最も大切なことは何だと思いますか。
それは・・・
教室の中にいる子ども全員が「本気で考える」ということではないでしょうか。また、一回の道徳授業で、必ず一度は全員の子どもに自分の考えをアウトプットすることが大切なのではないかと考えています。

しかし、子どもは以下のような理由で「本気で考える」ことができなかったり、自分の考えをアウトプットできなかったりしています。

「道徳の授業って、当たり前のことばかりを言わされる」
「説教みたいで、つまらない」
「道徳の授業は、○○さんの発表に任せておけばいいよね」

つまり、子どもが「考えたい」「話したい」と思える状態になっていないのです。

そこで、どうやって子どもに「考えたい」「話したい」という状態を作っていけばいいのかをご紹介します。

⑴ 本気で考えたくなる「問い」

子どもでも「嘘をついてはいけない」「優しくしなければならない」など、ある程度の道徳的な知識は持っています。
しかし・・・
「わかっていても、やってしまう(または、できない)」
という現状があると思います。

それは、なぜでしょうか。
さまざまな要因が考えられますが、その要因の1つに子どもの「知っている」とされる知識に問題があるのではないでしょうか。
つまり、表面的に知っているだけで本質的な価値を知らないのです。

例えば、
「嘘をついてはいけない」とはわかるけど・・・
なぜ、嘘をついてしまうかは知らない
「人に優しくすることは大切」とはわかるけど・・・
優しくするって、相手に何をすればいいのかは曖昧
など言葉レベルではわかっているだけで、「なぜ、嘘がいけない」のか「なぜ、優しさが大切」なのかは知らないことが多いのです。
そう考えると、「知っているのにできない」ではなく「知らないが故にできない」と言えるのではないでしょうか

道徳の授業では、その知らないことを考えることが大切なのです。


① 考えたことがないことを「問い」する


 だからこそ、子どもが知っているようなことを授業で訊ねてはいけません。知っていることを訊ねても本気で考えてようとはしないのです。大人でも「赤信号を渡ってもいいですか」と訊かれると、考えなくても「ダメです」と条件反射的に応えることができます。
 それと同じで、子どもでも「嘘をつくことはいいことですか」と訊かれると、考えなくても「ダメです」と応えることができるのです。
 また、「嘘をついた時、どんな気持ちだったと思いますか」という問いも、あまり効果的でないと考えています。なぜなら、このような問いに対してこれまでの経験で「いやな気持ち」と応えることが正解だと無意識に考えているのです。
 そういう理由からも、「どんな気持ちだったと思いますか」という問いも、子どもが考えたい問いではないと思います。

 では、どのような問いなら「本気で考えたい」と思うのでしょうか。
 それは、普段の生活では何気なく通り過ぎてしまい、立ち止まって考えたことがないようなことを、改めて問うことが大切だと思います。

例えば・・・
「人が嘘をつくときって、どんなとき」
「きまりは、誰のためにあるのかな」

このような、普段は考えたことがないようなことを「問い」にすることで、「え?ちょっと待って」
「何でだろう」
「友達はどう思っているのだろう」
と本気で考え始めるのです。

② 「本当にそうなの」と問い返す


 また、子どもの表面的な知識に対して「本当にそうなの」と問い返すことも有効です。

例えば、
教師「元気のいい挨拶って、いい挨拶ですか」
子ども「もちろん、いい挨拶だと思う」
教師「本当にそうなの?」
  「心では『やりたくないな』と考えていても、いい挨拶と言えるかな」

子ども「それはどうかな・・・」
   「違うかもしれない・・・」
   「いい挨拶って、どんな挨拶なんだろう」

このように、教師が、子どもの言葉レベルの表面的な知識で満足するのではなく、「それって本当にそうなのか」「なぜそう言えるのか」などをさらに追求する問いを与えてあげることが大切です。

そうすれば、「あれ?」「正しいと思っていたけど、本当はどうなんだろう」と自分自身で論理的に思考していくようになるのです。

③ 比べて「問う」


 子どもに考えさせるために、考えるための技法(思考スキル)を教えることも大切です。その代表として「比較する」があります。
 人は物事を考えるときに、複数の対象を持ち出し、共通点や相違点を明らかにすることで、深く考えることができます。
 その比較して考えるための技法(思考スキル)を道徳の授業でも活用するのです。

例えば、
「『人に頼ること』と『人に甘えること』は同じ?違う?」
「『親切』と『お節介』の境界線はどこなのか」
「『切磋琢磨の関係』と『歪み合う関係』の違いは何」

など、似て非なるものを比べて「問う」ことで、これまで感覚的・直感的に捉えていたものを、自分の経験を通して考え始めます。
すると・・・
「私は、頼ることと甘えることは同じだと思う」
「え?私は違うと思う」
「何が違うの?」
「だから〜」
と自然な対話が生まれてくるのです。
これが「本気で考える」ということなのではないでしょうか。

本号では、⑴本気で考える「問い」について考えてきました。
次号では、⑵困っている子どもに目を向けるについて、私の考えを述べたいと考えています。


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