NBA ジミー・バトラーの眼差し
渡邊選手がNBAの試合に出るようになり、八村選手がNBAの上位ドラフト指名を受けたことで、NBAに注力するようになったニワカファンです(90`sのマイケル・ジョーダン時代はよく見ていた)。
日本選手の活躍もうれしいですが、せっかくなのでいろんな選手も興味を持ってみるようにする。KING 「レブロン・ジェームス」は34歳の今も人間離れしてるし、昨年のMVP「ヤニス・アデトクンボ」はもはや人間を超えた身体能力だし、若きスター「ルカ・ドンチッチ」は21歳なのにサッカーで言えばシャビとイエニスタを足して割らないみたいなスポーツIQの持ち主だし、すごい選手たちで溢れている。そんな数ある選手のなかで人間性という意味で興味をもった選手がいる。マイアミ・ヒートというチームの「ジミー・バトラー」だ。ジミー・バトラーの目はいつも鋭い。試合においても、人生においても。
リーグ8年目、30歳のジミー・バトラーは超一流のオールスター選手だけど、先ほど名前をあげたリーグを代表するスーパースター中のスーパースターに比べると個人成績がとびきり良いわけではない。体格やスピードが目立つわけでもない。
正直、プレイ集の動画をみるときはジミー・バトラーじゃなくて、ドンチッチばかり見ている。ドンチッチ最高。
しかしジミー・バトラーはチームのピンチを救い、他の選手を巻き込んで戦うことができるリーダーだ。自分にも他人にも厳しい人格のために昨年はチームを転々としたが、戦うカルチャーを持つマイアミ・ヒートに移籍して真価を発揮している。常に全力で戦うジミー・バトラーは見ていて心地がいい。
とはいえ、バスケットはチームの総合力がモノを言う競技だ。残念ながら優勝候補のライバルチームに対し、総合力が劣るマイアミ・ヒートが優勝するのは例年なら難しいことだろう。
しかし、今年はコロナの影響で長い中断期間を経た後で16チームによる優勝決定トーナメント(プレイオフ)を戦っている。中断まで圧倒的な強さを誇っていたチームの調子が上がっていない。ジミー・バトラーのリーダーシップ次第では、どうなるか分からない展開だ。2020/8/21 の時点ではあと2勝で一回戦勝ち抜けできる状態だ。
背番号以外何も書いていないユニフォーム
コロナ渦のためリーグを中断したNBAは、選手たちを一か所(フロリダにあるディズニーの敷地)に隔離し、万全の防疫体制の元にリーグの再開、及び、優勝決定トーナメントの開催を決めた。しかし、再開まじかに例の警官による黒人男性殺害事件と講義運動(BLACK LIVES MATTER) 運動が巻き起こった。NBAはアフリカ系アメリカ人も海外国籍選手も多いリーグだ。
有名選手たちの多くが社会の模範として運動の支持を表明したこともあって、リーグをあげてこの運動のバックアップをすることとなりました。
コートや会場のいたるところに BLACK LIVES MATTERの文字、そして選手のユニフォームには背番号、名前の他に、問題に対する選手が選んだ言葉をつけることができます。
その状況のなかジミー・バトラーは背番号だけで、言葉も自分の名前もつけないと意思表示をします。結果的にはこの主張は許されませんでしたが、ジミー・バトラーは実際に背番号だけのユニフォームを作り試合に出ようとしました。そして審判に正式に注意されたことを確認した上で通常のユニフォームに変更しています。
なぜ、ジミー・バトラーは言葉も自分の名前のないユニフォームを着ようとしたのでしょうか?
それは「自分はNBAの選手でなかったら、他の無名の有色人種の人たちと変わらない。すべての人が、だれであっても同じ権利を持つ」ということを伝えるためでした。
そして自身のtwitterに今回の運動は一時的なものではないというメッセージを載せました。ジミー・バトラーの眼差しは今現在だけではなく、不幸な過去、そして遠い未来をも見据えている。
絶望の海で迷子にならないように、希望を持って、楽観的になりましょう。私たちの闘いは、一日、一週間、一ヶ月、一年の闘いではなく、一生の闘いなのです。
決して、騒ぐことを恐れないで、良いトラブル、必要なトラブルに巻き込まれることを恐れてないで。- ジョン・ルイス
※ジョン・ルイスは1960年代のアメリカ公民運動の象徴的な人物。1965年の「血の日曜日」事件ではデモの最中に武装警官から襲われ頭蓋骨を骨折した。民主党党員として下院議員を1986年から17期務めた。2020年7月膵臓癌のため亡くなる。
ジミー・バトラーは幼いころからのスポーツ・エリートではありませんでした。それどころか、普通に生活することすら困難な状況で育っています。そんなジミー・バトラーだからこその主張だったのです。
13歳にしてホームレスとなる過酷な生い立ち
ジミー・バトラーは小さいころに父親が家をでたため父親を知らずに育った。しかも、ジミー・バトラーは13歳のころに母親からも見放され家を追い出されてしまった。父親似の顔が気に入らないというのが理由だったと言われる。
ジミー・バトラーが生まれ育ったトムボールはヒューストンの郊外の町、トムボールの治安は分からないけど、それなりに治安の悪い部分もある大都市ヒューストンまでは数十キロの距離にあるところ。若干13歳当時のジミー・バトラーがどのように暮らしていたのか本人は多くを語らない。どうやら友人の家を転々として暮らしていたらしい。そして悪の道に向かうことはなかったようだ。
そんな生活を高校最終学年まで過ごしていたジミー・バトラーだが、ある友人の家に行った時に友人の兄弟がジミー・バトラーに非常に懐いたこともあって家族として迎え入れられたのだ。すでに6人もの子供たちがいる家庭で経済的にも裕福な家庭ではなかった。当初は両親たちも経済的な理由で養子として迎え入れるのをためらったが、ジミー・バトラーが他の兄弟たちに与えるプラスの影響が大きいことを悟って家族に迎え入れた。ジミー・バトラーは後に「彼らは僕の事をバスケットボールが上手いから引き取ったわけじゃないんだ。義母は信じられない事に僕の事を愛してくれたし、たらふくご飯を食べさせてくれたんだ」と語っている。
ようやく安定した生活の場を得たバトラーは高校最終学年でバスケットに専念することができ、見事な成績を残すことができた。
しかし、残念ながら有名大学からのスカウトはなかった。NBAへの道は果てしなく遠い状態。そこで地元の短大に入学し、そこで頭角を表し有名校からのスカウトを得た。新しい家族のアドバイスでNBAに入れなかった場合も学力の高いマーケット大学へ編入。最初の年はなかなか試合出れなかったが努力を重ね試合で活躍するようになり、卒業後にNBAドラフト1巡30位でシカゴ・ブルズに入団することになる。
ジミー・バトラーの物語が知られることになったのはNBAドラフトの直前だ。しかしジミー・バトラーは同情されることを嫌い多くを語らなかった。
ジミー・バトラーと義母と一緒にインタビュ-を受けている動画がある。日本語の字幕はないので完全には内容をつかめないけど、家族になったときの話も語られているようだ。見ての通り、義母は白人女性だ。
ちゃんとした情報元を探しきれませんでしたが、実父実母との関係も良好とのこと。恨んでないと言っているそうです。
努力の人
大学時代の恩師から贈られた言葉は「努力でしか自己を超えられない」だったそうです。
その言葉通り、ジミー・バトラーは努力の人。ハードワーカーです。
10時から練習開始のキャンプなのに3:30に会場入り、4:00から練習していたとのことです。
2020年に不慮の事故で亡くなったコービー・ブライアントもハードワーカーで有名でしたが、自分と同じくらいの早い時間に試合会場入りし練習をするNBAに入ったばかりのジミー・バトラーを認めていたそうです。
多くの一流スポーツ選手のようにジミー・バトラーは極度の負けず嫌いです。近くにいたらちょっと面倒と感じるかも。
ジミー・バトラーは試合を決める勝負所に強い選手。ジミー・バトラー率いるマイアミ・ヒートの活躍を期待しています。
<追記 2020/8/25>
ジミー・バトラーを中心にチームとしてハードワークしたマイアミ・ヒートがプレイオフ1回戦で、ヒートより成績の良かったペイサースに4-0で勝ち抜け!
しかし、ジミー・バトラーは肩を負傷した模様。どの程度の怪我か分かりませんが、離脱はしてません。次はおそらく東地区1位の昨年MVPのヤニス・アデトクンボ擁するバックス。対抗するにはジミー・バトラーの活躍は不可欠な状態だ。
<追記 2020/9/1>
優勝まであと3つのカンファレンス準決勝(先に4勝すれば勝ち抜け)の第一戦目。相手は昨年MVPアドテクンボ率いるバックス(今年の最多勝チーム)。
ジミー・バトラーはプレイオフキャリアハイの40Pointを奪って見事勝利。
ジミー・バトラーは勝負の終盤第4クオーターに難しいタフショットを次々と決めて勝負をつけました。
<追記2020/9/5>
優勝まであと3つのカンファレンス準決勝(先に4勝すれば勝ち抜け)でジミー・バトラー率いるヒートは3連勝であと1勝で勝ち抜け。
第2戦ではディフェンスで貢献し、同点で残り4秒のシュートでファールを誘い決勝フリースローを決めた。
第3戦では残り時間9分で10点差で負けている状態から大爆発。そこから17点を奪い(合計30点)勝利に貢献。ジミー・バトラーの活躍が止まりません。
<追記2020/9/9>
マイアミ・ヒートはレギュラーシーズン勝率No1のバックスを破りカンファレンス決勝に勝ち進みました。優勝まであと2つ!
3勝1敗で迎えた第5戦(4勝勝ち抜け)。ジミー・バトラーは序盤はらしくないミスが多かったですが、勝負どころではきっちりファールを貰ってフリースローで加点。この試合はルーキー(八村選手と同じ)のヒーローが大活躍。チーム一丸で戦っています。
次はラプターズかセルティックス、どちらも強豪です。
マイアミ・ヒートは右上の山。
<追記:2020/9/28>
ジミー・バトラー率いるマイアミヒート、なんと優勝決定戦(Final)進出です。
東カンファレンス決勝の対戦相手 ボストン・セルティックスは強いチームでしたが、バトラーのみならず、ベテラン・若手すべての選手の活躍により4勝2敗(4勝勝ち抜け)しました。
正直、決勝(Final)まで勝ち進むとは思っていませんでした。対戦相手は、「マイケル・ジョーダンとどちらが上か?」という論争が毎年湧き上がる現役最強選手レブロン・ジェームス率いるロサンゼルス・レイカーズ。正直、レイカーズ有利だと思うけど、ヒートにも頑張ってほしい。
<追記2020/10/7>
ついに始まったジミー・バトラー率いるマイアミヒートと現役最強選手レブロン・ジェームス率いるロサンゼルス・レイカーズの決勝(Final)。 先に4勝したチームが優勝です。
初戦でアクシデント。ジミー・バトラーと共にチームの中核メンバーだったドラギッチとアデバヨが初戦で負傷退場。マイアミヒートは大敗し初戦を落としました。さらに負傷した二人は2戦目も欠場、チームは2連敗してしまいます。
バトラーは「まだ終わっていないんだから、動けなくなるまで戦う」と、インタビューで答えました。負けているときは、誰もがこういうことを言います。だから僕はあまり深くこの言葉を受け止めていませんでした。バトラーという人間を良く分かっていなかった。
そして第3戦目。3連敗から4連勝したチームはありません。ここで負けると優勝の可能性はほとんどなくなる一戦。やはりドラギッチとアデバヨがいない中、バトラーは文字通り「動けなくなるまで戦う」を実践してみせました。46分中43分出場し、自ら点を取り、リバウンドを取り、アシストしたバトラー。リーダーとしてチームを鼓動したバトラー。見事にチームを勝利に導きました。40点超えのトリプルダブル(主要スタッツの3つが2桁 )を達成。長いNBAの歴史のなかでも3人目の快挙です。休みなしのバトラーが勝負どころの試合終盤でレブロンとのマッチアップで勝利したことは大きな驚きでした。バトラーは文字通り「動けなくなるまで戦う」を実践したのです。
試合後のインタビューでは「トリプルダブルなんて気にしていない。勝ちたいだけで、実際に勝利を手にした」と語っています。「チームが勝つなら次は0点でもいい」とも。
僕はジミー・バトラーという人間と能力を良く分かっていなかった。
とは言っても、まだ圧倒的に不利な状態。4戦目はアデバヨが復帰できるとのうわさもあります。がんばってほしい。
<追記2020/10/10>
アデバヨが復帰した第4戦。終盤で接戦に持ち込むも逆転を狙ったバトラーの3ポイントシュートは外れ、逆にレイカーズに決められる。追いつきたいヒートでしたが、バトラーがレイカーズの二枚看板の一人デイビスのブロックショットに合い勝負あり。レイカーズの3勝1敗になり、レイカーズが王手。ヒートが優勝するには3連勝しかなくなりました。ドラギッチは欠場。
負けられない状況となったヒートのジミー・バトラー「大切なのは自分たちがコントロールできることに集中することだ。僕らの自信が揺らぐことはないし、これからも高いままだ。次の試合で勝つためには、これまで以上に高く自信を持つ必要がある。」と、戦う姿勢を崩さない。かっこいい。
そして第5戦。終盤までリードを保ったヒートでしたが、レイカーズに逆転を許したあとは1点差でリードを奪い合う互角の展開。両チームともエースのレブロンとバトラーにボールを集める。
この試合、バトラーは48分の試合時間中、47分出場。ほぼフルタイム出場。しかも守ってはレブロンをマーク、攻めてはデイビスにマッチアップされるキツイ展開。それでも残り16秒で逆転のフリースローを2本決めて1点差リード。レイカーズの攻撃を守り切って勝利。バトラーは第3戦に続きトリプルダブル達成。同じシリーズのファイナルで30点超えのトリプルダブルを2回達成したのはレブロン・ジェームスに続き史上二人目とのこと。
この試合、ヒートは7人で戦い抜きました。しかも2人は新人。もう一人はドラフト外。恐ろしいチームです。
終盤のバトラー、きっちりファールを貰った後。
疲れを見せない選手だけど、さすがにうずくまる。
言葉通り「動けなくなるまで戦う」を実践している。このシーンは一生忘れない。
試合後のインタビュー後。第1戦で思いっきり足を捻っていたのですが、その影響もありそう。中1日でどれだけ回復するのだろうか?
優勝まであと2勝、1敗もできない状態。厳しい状態は変わらないが、頑張ってほしい。
<2020/10/12 追記>
ついにジミー・バトラーとマイアミヒートの長い闘いが終わった。マイアミヒートは第6戦で大敗を喫し優勝することができなかった。
これまでの5戦をほとんど休まないでプレイした影響か、ジミー・バトラーは精細を欠いたし、若いプレイヤーも実力を発揮することができなかった。なんとか復帰したベテランのドラギッチも本領発揮とはいかなかった。
かつては(ジミー・バトラーから見て)ハードワークをしないチームメイトと揉めてチームを転々としたこともあるバトラー。しかしマイアミでは水があったらしく、チームメイトたちと信頼関係を築くことができた。試合後のインタビューではこう答えている。
一緒にプレイすること、一緒にいることをとても楽しんでいた。とにかく今は、こういう機会を与えられたことにとても感謝している。当然だけど、負けるのが好きなんて人はいない。でも、今年は最初から最後まで戦い続けることができたと思う。(中略)
僕のやり方でも大丈夫だってことを学んだ。ここでは、絶対に、絶対に、絶対に周りの選手たちを信頼できる。
最後まで戦い、仲間を信頼し信頼されたジミー・バトラー。
僕を含む多くの人々が感動したのは驚異的な能力だけではなく、人間性が素晴らしかったからだと思う。
活躍した選手の多くが来年も残るマイアミヒート。来季の活躍を期待する。