[映画][L.A.暴動][HipHop] Boyz n the Hood
久しぶりに 1991年に公開された映画 「Boyz n the Hood」を観た。ロサンジェルスの貧困エリアに住む黒人たちの残酷な現実を描いた青春映画だ。
監督・脚本のジョン・シングルトン氏は監督デビューの本作にて、また若干24歳でアカデミー賞監督賞・脚本賞にノミネートされた。そして残念ながら2019年に51歳の若さで亡くなってしまっている。
なぜ、この映画を再び観たかというと、少し前に 80-90年代に社会現象を起こした伝説的HIP HOP グループ N.W.A の映画「ストレイト・アウタ・コンプトン」を観てnoteにも書いたからだ。「Boyz n the Hood」は彼らのデビュー作の曲名でもあり、歌詞を書いたICE CUBEが主演の一人のダグボーイを演じている。
映画「Boyz n the Hood」は、そしてN.W.A が表現しようとした当時の黒人たちのフラストレーションは、翌年の92年に起こる「L.A. 暴動」 を予言するものだった。
映画はこのようなナレーションから始まる。
アメリカの黒人の男の20人に一人が殺されて死ぬ。
その大半が同じ黒人によって殺されるのだ…
映画のストーリーでも、主人公の隣人の兄弟の弟が、夢であったアメリカンフットボール名門大学への推薦入学を目前に些細ないざこざから殺されてしまう。日本なら単なる若者同士のよくあるいざこざ、年をとったら笑い話になるような出来事で殺し合いになってしまうのだ。兄弟の兄(ダグボーイ:ICE CUBE)は復讐のために仲間と、弟を殺した相手を探しに街をさまよう。このストーリーは架空の話だが、監督の実体験が色濃く反映していると言われている。似たような話は彼らの周りにたくさんあったのだ。
何十年かぶりに観たけど良い映画だった。無駄がなく洗練されている。役者たちの演技も見事だ。ちなみに主人公の父親役をマトリックスのモーフィアス役のローレンス・フィッシュバーンが演じている。ICE CUBEも良い演技をしている。
HIP HOP の文化的な側面の一つは自分たちの置かれている環境をそのまま歌詞にして残したことにあると思う。良識的な人々が眉をひそめるような表現(正直受け入れがたいものも多い)であっても歌詞にすることで後世に残すことができる。L.A. 暴動についての本を読もうと思ったが、黒人側の視点で日本語で読める本がほとんどないことに驚いた。彼らの歌詞が文化を作らなければ忘れられていたかもしれない。誰にも気付かれなかったのかもしれない。
彼らの時代から30年近く経った2020年。何か状況は変わったかというと、それほど大きな変化はないようだ。Dr.Dre 、スヌープドックなどのスターを生み億万長者を生んだことは大きな変化だ。でも大半の若者たちは相変わらず些細ないざこざで殺され続けている。彼らの地元の若きスター「ケンドリック・ラマー」の友人たちも不慮の死を遂げている。
日本にいる僕にとって彼らのことは遠い異国のことだし (日本の若いラッパーの歌詞を読んでいると、貧困の差という意味では段々近づいてきている気がするけど)、正直なところ何もできることはない。ただ、フラストレーションが文化を生んだことという事実を、その文化がどのようなものだったのかを受け止めていきたいと思う。
映画「Boyz n the Hood」は2020年4月時点でNetfilxで観ることができる。Amazon だと 199円でレンタル可能だ。