夢で逢えたら
夏の昼下がり。コンビニへ向かう途中の舗道に、少女が倒れていた。
近寄ると、かすかな寝息が聴こえてくる。汗ばむ細い首筋と、規則的なリズムで上下する胸を見ながら、僕は彼女の肩の辺りに手をかけ、軽く揺さぶった。
はっと開いた彼女の瞳は、真上で照りつく太陽の眩しさで、再び細くなった。
「大丈夫?」
僕が声をかけると、彼女は困ったような、申し訳なさそうな表情で上体を起こし、立ち上がって言った。
「ごめん。私、ナルコレプシーなんだ」
ナルコレプシー。夜間に充分な睡眠を取っていても、日中強烈な眠気に襲われる病のことだ。
その病気を僕はよく知っていた、なぜなら。
「奇遇だなあ。僕はインソムニアなんだ」
もう丸々五日間、眠っていなかった。
聞くと彼女は僕と同い年で、同じ大学に通っているらしい。けれど例の病のせいで、ほとんど出席できていないという。
居眠り病と不眠症。睡眠に影響を及ぼす二種類の疾患。奇妙な共通点を持つ僕らが、親密な関係になるまでそう時間はかからなかった。
彼女は毎日、決まって同じ時間に僕の部屋のドアを叩いた。
「もしもいつもと同じ時間に私が来なかったら、途中の道端で眠りこけてる証拠だから、君が心配して起こしに来てくれるでしょう」
そう言った彼女の目は、いつもより少しだけ冴えていた。
不眠症患者と健常者なら、活動時間に二倍ほどの差ができる。相手がナルコレプシーなら、それ以上だ。
今まで眠れていなかった時間で観てきた映画、読んできた小説、聴いてきた音楽──何百とある作品のその全てを、僕は彼女に教えた。それらを見聞きしているとき、彼女の目が閉じることはなかった。
僕の薦めたものに目を輝かせる君の姿を見て、僕は確かに幸せだった。
眠れる君と眠れない僕の生活が始まって、一年が過ぎたある日。彼女は不意に言った。
「私の病気、治ったかもしれない」
君のおかげかもね、と付け加えて微笑んだ彼女に、僕は本心でない祝福の言葉をかけた。
翌日から、彼女は僕の部屋に来なくなった。
道端で眠りこけているのかもしれないと、いつもと同じあの時間に部屋を出て周囲を探し回ったが、それも数日でやめた。
僕らが出会った日、舗道の真ん中で眠っていた君が着ていた、アスファルトの油で汚れたシャツは、いつの間にか部屋から消えていた。
数ヶ月後の深夜。つけっぱなしにしたテレビからは、警視庁の犯罪摘発番組が垂れ流されていた。
眠ることを知らない夜の繁華街、初対面の中年に買われる非行少女。そんな一幕で、地べたに座りながら警官と話す、モザイクまみれの女のシャツには、見慣れた油のシミがあった。
睡眠導入剤とアルコールで呂律の回らない言葉を発し、警官を呆れさせているその女は、確かに君だった。
その夜僕はベッドの上で、久しぶりに深い眠りに落ちた。
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