生まれてきたことが間違いだったということ、でも。

僕が、幼少期からずっと、親にいじめられてきたのは、
ある条件を満たすことができないからだ、と言われた。
しかし、その条件は、子供の自分には満たせないものだし、
大抵の子供には満たせないものだ。
だから、逆で、とにかくいじめたいが先にあって、
その後付けとして、その理由を見出したのだろう。

だとしたら、僕はいじめられる運命にあったし、それはある意味では生まれてきたことが間違いだったと言えるのだろう。
この家庭において、そしてあの親にとっては、僕は生まれてきてはいけない存在で、だからいじめられて当然の存在なのだと。
これは、僕の被害妄想ではなくて、実際にそう言われたんだ。
世の中には、こんなに酷い親がいるのかと、本当に衝撃を受けたし、
色々と目が覚めた。

確かに僕は欠点だらけで、運動も勉強も出来ない。これといって、取り柄のない、寡黙な恥ずかしがり屋の少年だった。探せば欠点はいくらでも見つかるし、だからたくさん、恥をかかされてきた。
両親だけでなく、外においてもそうだった。
学校、クラスメイト、先生も、運動クラブの人たちにも、いじめられてきたし、それを当然だと思っていた。だって、ダメな子供だし、存在してはいけないと思っていたから。
存在するだけでも、ご飯を食べさせていただいているだけでもありがたいのに、それ以上を求めるのは傲慢すぎるって。

でもさ、それって、世界が不幸になる論理だなあって思う。
ある条件を満たすものは良いが、満たさないものはいじめられて当然だって。だとしたら、もし能力の高い宇宙人が来襲して、今いる地球人が条件を満たさない存在になった時、それを理由にいじめられるのを肯定するのだろうか。今いじめられていなくとも、いつかはどこかでいじめられるかもしれないが、それを良しとするのだろうか。歳をとって能力がなくなれば、存在価値を失うから姥捨やまに捨てられても良いって、笑顔で言える人はいるのだろう。言えたとしても、それはそれで悲しい。

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